2009/5 (a)

Last Modified: Sat May 16 10:38:50 JST 2009

「ウォーターボード」って、水上スポーツかなんかの一種かと思った。

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(23:45)
きょうは朝おきて、なんか耳の中がゴソゴソするぞ、何か入ってるかな? と思い、綿棒をつっこんでみたが何もない。そしたらそのうちに首を動かすと 耳の中で「ガガっ、ガガがガッ」と大きな音が聴こえるようになったので、これはヤバイ! 鼓膜がなんかなってる! …と思ったのであったが、フと鏡をみてみたら、耳の穴の中に 髪の毛が一本つきささっていた。あっそう。

けさは半袖で自転車の寒かったね。(助詞の使い方的変)

(23:49)
てくるで、きょうはめずらしく夕食をちかくの中華料理屋で外食したのだったが、 そこには『週刊大衆』があったので読んでみた。そしてそのすばらしく単純化された世界観に感動した。 彼ら男性週刊誌の世界においては、この世は「政治家の派閥、スポーツ、ヤクザ、クルマ、ねーちゃん」という 5つの要素で、そしてそれのみで成り立っている。 これだけが彼らの宇宙に存在するものすべてなのである。この傾向はおそらくいつの時代も変わらない。 ちなみに女性週刊誌もこれまた似たような単純さ加減なので、べつにバカなのは男だけではない。

…どうでもいいけど新山がこういう雑誌で記事本文よりも興味があるのは、 途中に載ってるアヤしい商品広告の数々だ。こういうのはいつも興味津々でみるのだが、 そのたびに思うんけど、ホントに売れてるんかね? この手の広告はガキ向け雑誌にもよく載っているが、 ひとつきにいったいいくら注文くんのか、ちゃんと採算とれてんのかと、 ひと事ながら心配になってくる。つまり…

といった商品である。 はっきりいえば、新山にとっては自動車も上のアヤしい商品群とほとんど変わらない。 ただ違いは多少値段が高くて、(上の商品に比べれば) ヤクザ度の低い人間が販売してるってことだけ。 クルマにやたら金をかけたがるような連中は、けっきょくのところ「男性週刊誌」的な 世界から出てはいない。靴とか鞄とかPCとかに金をかける人々も同様。 人間がみんなこの程度の欲で満足するようなら、世界を支配するのはたやすいもんだ、と思う。

まあ、オレはおとなしい性格なので、もちろんこんなこと人前でいわないけど。

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(08:21)
最近、ニューヨークの知ってる場所の写真や映像などをみると「あ、なつかしいな」と思う。 しかし自分がふたたびあそこに住みたいか? といえば、答えは definitely NO だ。 Even 行くだけでも NO だと思う。なぜなら空路がえらく長いから。… どうでもいいけど (どうでもよろ)、"even" などの副詞はときに日本語を使っているときでも 使いたくなるときがある。日本語にぴったりくる表現がないので。 しかし日本語は日本語で、便利なものらしい。前に日本語を知っているアメリカ人と会話してたとき、 彼が "waza-waza" という単語を使っていたのを思い出す (ほかはぜんぶ英語なのに)。 たぶん「わざわざ」にぴったりくるニュアンスの単語は英語にはないのだろう。 そういうことです。
(20:54)
アメリカ人はやはりヘンだということ。 このビデオでは、 リサイクルした紙を使って、皿としても使えるピザボックスが「greenなアイデア」として紹介されている。 そもそも油ギトギトなジャンクフード (米国のピザは日本のと比べてもさらに油が多い) を 食っておいて green もくそもあるものか (将来的には絶対、医療費がかさむだろ)。 …しかし、このビデオの評価およびコメント欄を見ればわかるように、こんな程度の活動が ひどく高評価だ…。みんな "cool!" "nice creative idea!" などのコメントを残している。 もしかするとこの程度の節約が莫大な量になるほど米国ではピザの消費量が多いのかもしれないが、 こんなんで得意になってるようじゃアメリカンには資源の節約はできねえな、と思う。

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(22:21)
また例のライブラリに関する質問がきた。 これは仕事でやってんじゃないんですよ。 それにぼかあ、24時間サポート係じゃないんですが。 でも、オレってなんていい奴なんだろ…。 (←ジガジサ!)

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(20:01)
基礎について。 これはプログラミングに限らずなんでもそうだと思うけど、基礎が大切なのは、 それが「自信」のいしずえとなるからである。でも日本語で「自信」っていうと、 どことなく尊大な感じを含んでいるような気がしてよくないな。 オレはいわゆる英語でいうところの "confidence" って言いたかったんだ。 つまり、「足どりの確かさ」である。これがなぜ重要かというと、 遠くまで行っても間違いが少ない。一歩、一歩のステップが確実なので、 いきなり予期しないところで背後から襲われることを心配しなくてすむ。 速度はあんまり関係ない。プログラミングに限らず、こういうことは誰でも慣れれば速くなるものだから。 ところがこれが基礎のしっかりしてない人だと、一歩、一歩がホントウに正しいかどうか怪しいのに 無理して進んでいるもんだから、あとでおもわぬガケ崩れがおきる危険性がある。 にもかかわらず、基礎がしっかりしてようがしてなかろうが、ほとんどの職業プログラマは 遠くまで行かされるのである! これは新山の想像でしかないが、基礎のしっかりしていないプログラマが 複雑な仕様のシステムをいじらされるときに覚える感情は、戦慄そのものだろう。 そしてこれまた想像だが、この世にはいったいいくらの「足元のおぼつかないプログラマ」がいて、 かれらが半狂乱的にワケのわからない道を進んでいるのだろう、と思う…。 おいおい、あんまりそっちまで行くんじゃないよ!

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(12:56)
Linux で手を出すとひどい目にあうもの:

…で、これらをとったら何が残るんだい?? 教えてくれよ、誰か。

(16:52)
さて、きょうみつけた、どうでもいい Pygame のゲーム: フロッガー (115行)

(追記 5/11 - きょう見たらなんか改良されてる! 130行になってる!!)

結論: 動いた。

(00:41)
なかなか寝つけないあなたに。。。

さらに眠れなくなる上出来な動画集

ノッティンガム大学 化学科の先生方によるナイスな実験と講義。 新山はとりわけここに出てくる、いかにも“センセイ然”とした老年のポリアコフ教授が好きだ。 彼はいい味出している。でもって彼の語り口はなんかネムくなるよね…。

(追記 5/11 - ノッティンガム大学 物理学科もあるでよ)

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(09:12)
コンピュータにとって不得意なものとは何か? 音楽や文学などにおける「天才的な創造性」とかいわれているものほど、 実は機械に模倣させるのはたやすいんではないか。いままでの経験からすると、そんな感じがする。 もし将来、究極的に機械が進歩したとして、なにが起こるかっていうと 「ごく普通の、誰にでもできそうなこと」こそが、結局のところ (ケッキョキ) もっとも機械にまねのできないこととして残るんではないかと思う。 だとすると、それが人間にとって意味することは何だろうか?
(11:24)
aji-zo, kunuyalo.
(12:04)
ついに日本でも「えんがちょ合戦」が始まったらしい。 この手のことになると、潔癖症かつ完璧主義である日本人は 世界でもいちばん残酷になりそうな気がする。 「日本人はいませんでした、いませんでした」の世界だな。
(19:10)
きょうの発見: いままでなんとなく無視していたライフ中野新井店はじつはあんがい品揃えがよかった。 dood!!

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(07:15)
カミナリの音で目がさめてしまった。 今日はアホなとこへ行かねばならない。
(19:17)
..then i was liek, "WTF???" omg, anyways, WTFFTW!!!11!

(じつは FTW とはファトワ Fatwah のことだあるr)

M-x emo

(20:30)
I've always been thinking: it's easy to draw public attention by being extreme and bizarre, but it's very hard to do so by being reasonable and moderate. ..
(21:39)
あーさて、今日は厚○●働省に行ってきた。 といっても、いま話題のインフルとは何の関係もない。システムのデモを見せに行ったのである。 社長いわく「先方の意図がようわからん」ということだったが、 とにかくエラいお役人様に呼びつけられたので。 そういえばオレは霞ヶ関って初めて降りたような。アホらしいほどアホらしい警備だった。 なんでも、去年あたりと比べても、なおいっそう厳重になったんだと。どうでもよろ。 あいかわらずネクタイを結ぶのにやたら時間がかかったし、よりによって雨。 帰りは会社に戻らす家に直行した。そのあと銭湯。そして今。

うんとこさ。

(23:37)
そういえば Debian が glibc をやめて eglibc にスイッチするらしい。 eglibc とは Embedded glibc のことで、もともと組み込みシステム用に開発されていた ライブラリだったが、PC でも使えるほどの完成度になったらしい。思いきったもんだね。 LWN はすでにこのことで「祭り」になっているが、 オレはいまごろ気づいた。あいかわらず笑える Linux Haters Blog によると、 「eglibc = glibc - jackass」とのこと。オー、Ulrich Drepper。 名前は知らなかったが、彼は glibc の悪名高いメンテナである。 いったいどういう人物なのかというと、以下のあたりを参照…

ちなみに eglibc は、ウェブサイトでも述べられているとおり、glibcとは違って 「より親しみやすい開発グループを形成すること」も目標のひとつとして挙げられている。 なんにせよ、ゴシップ (youtube用語でいうところの drama!) 万歳。

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(19:18)
きょうーは、帰るときに雨がふってなかった。

==

i.e.             

I RULE!

いったいナンでコンなにテンショニが高いのオレは?? でも今日は午後からけっこう原因不明で気分が落ちこみがちだった。 サツキ病かしら??

    gngn.

(21:09)
むさしあぶみ -the- ABOMINATION!!!!1!
(23:43)
最近とった写真:

↑会社に貼ってあったんだけど、赤線で囲んだところを見てほしい:

dudes
…もうすこし互いに似たような画風のイラストを使えなかったのだろうか。 こいつら、まるで住んでる宇宙が違うだろ。 そしてケシカラヌことに、この中で一番カッコいいのが“ニセ子供”になってしまっている。 もしオレが子供だったら、こいつを目指すね (何が?)。 どう考えても、このチラシは教育上よろしくない。

それから次のやつは、某県某所に立っていた科学的な観察に関する看板である:

すばらしく科学的な所見ですね。しかしそのわりには「やたら多い」ってみょうに非形式的。

もちろん、アホなものばっかり撮ってたワケではない。
たとえばこれ。

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(19:15)
新山は「プログラミングには特別な能力が必要だ」というような意見を (感情的な理由で) 嫌っている。 こうした意見の背後には、本質的な「臆病さ」とでもいうものが感じられるからだ。 この意見がプログラマー自身から出てくるとき、それは基本的には彼 (または彼女) の醜い自惚れと、 自分の仕事を取られることの恐怖からきているにすぎない。いっぽう、プログラマー以外の人々から こうした意見が出てくるとき、それは彼らの「ワケわかんない連中はうちらとは 違う人種ってことにしておこう」という意図がうかがえる。 ようするに、どっちも差別が大好きな人々なのだ。こうした連中を、英語ではひとまとめに racist と呼ぶ。 オレはこうした人々が嫌いだ。同族嫌悪なんかもしれないが、とにかく嫌いだ。

…で、感情的な意見をさしおいても、これらの言明は実験的にも間違っている。 「人間にはプログラミングに必要な特殊能力が存在する」と仮定し、どうにかしてそれを科学的に 検出しようとする研究は、今までにずいぶんやられているが、どれも失敗している。たとえば、この論文 The camel has two humps (working title) を見てみるといい。これはまだ書きかけの博士論文のような体裁だが、この著者はずいぶんと過激なことをいっている。 いわく「プログラミング能力の有無を、ほとんど確実に見分けるテストを開発した」… 「プログラミング教育は無意味である。なぜなら、できないとわかっている生徒に対してどう教えようが無駄であるし、 できる生徒には最初からなにも教える必要がないからである。」 …へえええ、証拠を見せてほしいね。彼らの主張する結果をみると、テストはうまくいっているように見えるが、 しかし、この実験を追試した研究者によれば、彼らのテスト結果はほとんど実際の能力と相関がないと結論されている (Mental Models and Programming Aptitude)。 ようするに、これはインチキ研究なのだ。 新山の感覚からいっても、こうした研究はインチキ以外のなにものでもないと思う。 新山は、ワインバーグが言ったように、「ソフトウェア開発 (あるいは設計) の能力とは、 個人の人間的・社会的能力そのものだ」という言明を信じている。それはパズルを解く才能でも、 記憶力でも、数学的ひらめきでもない (それらは補助的な要素ではあるが、主要なファクターではない)。 むしろ個人のプログラミングに対する興味や好奇心、熱意のほうがはるかに重要だろう。 あとはただ常識とコミニュケーション能力と、ちょっとしたユーモアのセンスだけだ…。 新山から見ると、このことがわかっていないプログラマーはまだまだ幼稚である。 いっぽう、それをわかっていながらこうした似非科学を支持するのは不誠実きわまりない。 どっちにせよ「プログラミングには特別な能力が必要だ」とかいってる人間には、 正直かかわりあいたくない。これはまったく個人的な思想だが、とにかく新山はそう思っている (でも彼らのほうが多数派だったりして)。

ちなみに、またファインマンの話だけれど、 この人も物理学について同じようなことをいっていて、 新山はそれがすごく好きである。
以下引用:

特別な才能なんて必要ない by Richard Feynman

ファインマン「…普通の人間が一生懸命に勉強すれば、ぼくが想像したようなことを想像できるようになるかって? もちろんだよ! ぼくは一生懸命に勉強しただけの普通の人間さ。特別な人間なんていやしない。 ただそれに興味をもって、ひたすら勉強するようになっただけだ。ぼくらはただの人間だよ。 量子力学を理解したり、電磁場を想像するのに特別な才能とか能力なんてものは存在しないんだ、ただひたすら勉強して、 読んで、考えて、訓練する以外にはね。だからふつうの子供をつれてきて -- もちろん彼はこれにものすごい 時間をささげる覚悟が必要だが、でもその子が一生懸命勉強して、考えて、数式を学んで、そして訓練すれば -- その子は科学者になるんだよ。」

新山が100メートル走でオリンピックに出場することは遺伝的にムリかもしれないが、 “遺伝的な理由”でプログラマーになれない人間などいるはずがない。 もちろん、プログラマーにならない人は沢山いるわけだが、それはみんなもっと ずっと複雑な事情によるものだ。人間の知性とかいう複雑なものを、遺伝子とか 大学の偏差値とか、テレビゲームのやりすぎとか、 そういうアホみたく単純な要因に結びつけるのはひどい傲慢に思える。 そしてなにより、そういう連中はウソつきだ。


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Yusuke Shinyama