2009/5 (b)

Last Modified: Mon Jun 1 01:17:19 JST 2009

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(23:10)
Pyntch-20090531をリリースしました。 まだ大して使えるものになっとらん。

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(11:51)
ひさびすりに山形浩生のページを見てみたら、かの「モギ健一郎」が wikipedia で騒いでいることを知った。 オー、茂木健一郎。こいつはその昔「トンデモ科学の世界」なる本を出したときから、 ただの山師だと思っていたが、ずいぶん有名になったものよ (べつに“有名になった”だけで、 エラくはなっていない)。山形浩生の悪口に便乗するわけでないが、ふと思い出したので書いておく。 新山がまだ東工大の学生だったころ、こいつは東工大で客員かなにかをやっており、 そのことをオレはたいへん恥ずかしく思ったことを覚えている (つうか Sony CSL って、基本的に山師ばっかり集めてるって印象がある、おめでたい会社だ)。 qualia-manifesto.comとかいう恥ずかしいページを発見したのも このころだ。…って、まだあるじゃん! しかも全然更新されてない (このナゲヤリぶりを見よ)! 黒木掲示板でもトンデモ扱いだったような記憶がある。 さて、そのあとしばらくはこんなのドーでもよかったが、 新山がウラシマ状態で日本に帰ってくると、なんだか知らんがこの人はすごい有名人になっており、 いまや新山の中では、ドクター中松とか、脳内革命の人 (なんて名前だったっけ?)、 あるいは某「ゲーム脳」のセンセイなんかと同列の人として認識されている。 最近、本屋に行ったら、こいつの書いた「脳を鍛えればいいことある」的な題名の本 (タイトル失念) が 積まれていた。だから「養老センセイ・SFミックス版」や「野口悠紀雄・低俗版」のようなポジションも確立したのかもしれない。 まあそんな印象。もっと広い範疇でみれば、大槻教授とか、細木カズコとかと同じジャンルに属する、 知的文化人 for rednecks とでもいうようなカテゴリーの商品である。 (ああ、オレってなんてボキャブラリーが少ないんだ、日本語にも redneck に相当する単語があればいいのに)

基本的に、こいつらのやり方はみんな同じだ。茂木健一郎に関していえば、 彼は引用符つきの“科学者”であり、実際にはただの attention grabber なのだが、 そもそも「トンデモ科学の世界」を読んだときから、その兆候は見えていた。 こいつは科学的な結果なんかを追求するよりも、感情に訴えるほうがはるかに得意だろうと (そして新山自身も、どっちかといえば、このタイプかもしれない)。 彼はこの路線でがんばった、その成果が今のアレだ。 実際、世間一般の人にとってはそのほうが売れるんだから仕方がない。 新山はべつに茂木健一郎が悪いと思っているわけではない。 彼がいなければ、どうせ他のやつが出てきて似たようなことをやるだけだ。需要があれば供給がある。 こうした人々はいつの時代も一定の割合で現れては消えていく。 こういう連中が血液型占いとさして変わらない程度の “科学”を楽しげにふりまわしているのを見るにつけ、"ignorance is strength" という 言葉が思い浮かんでくるのは、オレだけなのか。

(はっきりいえば、カール・セーガンだって科学者というよりは芸能人に近かった。 でも彼はもっとずっと清潔だった。)

さてと、雨も上がったみたいだし、洗濯いってこよ。

(追記) それにしても、いつの時代も「頭の良くなる/成績が上がる/健康になる/幸運を呼び込む」たぐいの本ってのは よく売れるんだなあ。ホント感心する。やはり「教育」と「健康」は、トンデモが跋扈する分野だっていう 考えを新山は信じて疑わない。これらに共通するのは、客観的な評価が非常にむずかしく、 「よくなったような気がする」というプラシーボ効果が非常に大きいということだ。 そして正攻法なやり方でこれらを改善するのはあまりにも地道で大変なので、 みんな「お手軽な解法」を求めている。あやしい勉強法や、アホらしい健康法、 冗談のような占い、こういったものが売れるのは、みんな お手軽に成績を上げたり、アレルギーを治したり、結婚相手を探したりしたいからである。 たぶん100年後もこの状況は変わらないだろう。 といって、新山も他人のことはあまり笑えないのかもしれないから、このへんでやめとく。 この世は結局みんな「オマエモナー」の世界だ。

(13:30)
洗濯にいったら、いつも洗剤を入れているケースをセンタッキの裏側におっことしちゃった。 そこにあったホウキをつっこんでも取れない。

ムqcaーーーーーーーーっ! むかつく!!

(17:38)
たまにブックオフにいくと「100円って、大金だな」と思うときがある。

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(07:46)
そういやー、Christina が defense に通ったらしい。
それから、Anabela も defense に通ったらしい。
さらに、Svetlana も defense に通ったらしい。

みんなおめでとう!! それにしても、えらく集団発生したもんだ。 これで、新山の知っている人々は、全員“退院”したと思う。 まあ、かれらはまだひき続き入院するのかもしれないが…。

新山自身を除く。(What?)

(23:44)
米国の中学生は平均して 1日に 80通の SMS を送っているらしいというニュースが、昨日あった。 同年齢の日本人とくらべて倍ぐらいである。1通送るのに 30秒かかるとしても、 1日のうち 40分は SMS を送っているわけだ…。すげえな。

で、SMSって何??

(01:09)
ひまつぶし字幕シリーヅ。

http://yt-subs.appspot.com/view?video=agd5dC1zdWJzcg0LEgVWaWRlbxiBwgQM

こんな簡単そうな字幕でも、1時間かかった。ふんげa

しかしこの字幕はみにくいな。やっぱちゃんと編集しなきゃダメだと思う。

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(18:39)
リリースから1ヶ月近くたって、よーやく日本語版ページを更新してもらえました。

おめでとうございます。

(21:10)
Dell のパソコンを買うと、いつもいつもデフォルトで Google desktop がついてくるのは、 なにかの陰謀なのか。いや、陰謀どこじゃなくてこれはあからさまな嫌がらせだと思う。 新山はいつもサッサと消してしまっているので知らなかったが、 こいつのせいで不幸になってる人がいかに多いかを今日はじめて知った。 Mac OS の Spotlight もそうだったが、結局のところ人はいうほど 文字列検索なんか必要ないのだろう (少なくとも、あんなストレスを感じてまでやる必要はない)。 本当に必要なのは開発者ぐらいだろうが、そのくせ DLL のシンボルなんかは検索できない。 結局のところ、いまでも grep とシェルスクリプトの組み合わせが一番よかったりする。

新山の場合はまずこんなコマンドを作っておく:

#!/bin/sh
set -f
pats=-false
for i in "$@"; do
  pats="$pats -o -name *.$i"
done
find . '(' -name .svn -o -name CVS ')' -prune -false -o -type f '(' $pats ')'
これは、拡張子のリストを引数として与えると、それで終わるようなファイルの一覧を表示する スクリプトである。これを利用して、次のような関数で検索する:
function g ()  # コードを検索する - 大文字小文字を区別しない
{
  command tf py sh c cc C cpp h H hpp | xargs grep -i "$@"
}
function G ()  # コードを検索する - 大文字小文字を区別する
{
  command tf py sh c cc C cpp h H hpp | xargs grep "$@"
}
function gt ()  # テキスト関係を検索する
{
  command tf txt htm html xml tex | xargs grep -i "$@"
}
こんだけだが、いまんところ、ものすごく便利だ。 当分の間は、これに代わる選択肢は現れそうにない。 はっきりいって、インデクシングをデスクトップでやってもあまり意味ないと思う。
(23:58)
そういえば思い出したから書いておくけど、こないだある学校からうちの会社に問い合わせがあった。 なんでも盲人の生徒が入学試験を受けるのだが、点字で書かれた答案を読める教員がいないので、 点字をスキャンして読んでくれるような機器を探しているとのこと。 そういう機器はたしかに存在する。しかしそれを学校の入学試験で使うだと?? 冗談だろ…。 たぶん連中は点字をマークシートのようなものと考えているのだろうが、 マークシートの場合はたとえ機械が壊れても最終的には人間が結果をチェックできるし、 それに、そういう採点機は事前にちゃんと信頼性検査がされてるだろう。 しかし、点字のスキャンはマークシートほど信頼性が高くはない。 もし誰も点字を知らない状態で機械に頼って、結果が間違ってたらどうすんだ? ひとりの人間を試験するくせに、試験する側が結果に対して責任を負わない (負えない) とは、フザケた話である。 それに生徒が入学したあとだって、結局は教師の誰かが点字をきちんと使えるように ならなければいけない (それとも連中は最初から入学させないつもりなのかもしれないが)。 いずれにせよ、ひどい学校である。新山はこのやりとりを肩ごしに聴いてムカっとしていたが、 電話に出たうちの社長は丁寧にも 「商売だから売ることはできるけれども、個人的には機械を使うよりも点字を覚えてほしい」 と返答していた。えらい!!

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(07:51)
ごあいさつで。

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(10:43)
また無駄なことをしてしまった…。なにを血迷ったか、きのうは5時間ぐらいかけて、 この動画に字幕をつけていたのである。 最初はなんとなくいいな、と思ったから始めたのだったが、 こんなに時間がかかるとは思わなかったし、できてみたら大してよくない。 おまけに、いざアップロードしたら、もとの動画がどうやら著作権違反していたらしく (最初からそのことに思い至らなかったのが謎である)、 こっちまで Copyright notice が出るしまつ。 くそったれ。画質も悪いし、「もうドーでもいいや」という気分だが、 せっかくなのでリンクしておく。

それにしても、ひさびさに Mac を立ち上げた。iMovie なんかもう絶対に使わねえからな。 今度ビデオをつくるときがあったら、もうすこしましなものを使おう (まあ、次があったらの話だけどね)。

(12:12)
そういえば、新山はキリスト教が嫌いなのにゴスペルは好きである。 といっても、これは英語の歌詞がわかんなくて聴いているうちはよかったが、 じょじょにその歌詞がわかるようになってクルと、その“お説教くささ”に ムカつくようになった。でも、まあいい。新山にとっては 「キリスト教嫌い」と「ゴスペル好き」はまったく問題なく両立する。なぜだろう? たぶん新山にとって、言葉や音楽は宗教となんの関係もなさそうに思えるからかもしれない。 たとえば「これはキリスト教のために作った音楽です」とか言われても、 それは作った側がそう思っているだけで、聴くほうはその文脈を知らなければ まったくそこに「キリスト性」を感じない。だって常識的に考えてそうでしょ。 DRM推進者が何といおうとも、 ある情報の利用方法を、その情報自体に束縛させることは原理的に不可能なのだ。 つうか、言葉や音楽などのメッセージに宗教性を込められるという考えが新山にはなじまない。 基本的に、西洋の宗教はどれも「シンボルによる宗教」なので、その教義は言語や音楽によって 定義されているのだが、新山にとってはそもそもこの考え自体がチャンチャラおかしい。 依存関係が逆じゃない? 言葉や音楽といった枠組みは、世界が決めるんだよ。 つまり、言葉を使って神を定義しようとしているあんたらは、にせものだ! しかしまあ、どっちにせよ音楽を聴いているときは宗教なんてどうでもよろ。以上
(13:08)
討論: チョムスキー vs フーコー (part 2)。

うわ、チョムスキー若えなあ〜。でも話し方はいまと変わらない。

(18:00)
僅差で雨に打たれました…。  残念タリ

きょうは久しぶりにドサ食った。 そのあとスウパーへ買い物にいったら、 向こうのほうの空が薄黒くなっており、やばいな、と思ったのだが、 見事に負けた。ちくしょう

どうでもいいけど新山は (つけなくてもいいときに) わざと文末に句点をつけたり、 わざとつけなかったりする。これは意図的なものだ。何かしら知らないが、 新山は句読点のあるなしに意味があるかのように感じているのである! 以上、証明終わり。

(追記) どうでもいいことだが、スーパーで品揃えの豊富なのを見るとみょうに興奮するのはオレだけだろうか。 新山はわりとデカい、ただっ広いスーパーが好きだ。こういうのは資本主義の権化に見える。 むかしは (親に連れていかれる) 買い物なんかぜんぜん好きじゃなかったのになあ、 いまじゃカラフルな陳列をみるだけでウキウキしてくる。退化したのだろうか。 はっきりいって、新山にとっては、スーパーで商品の陳列をみるのも美術館で絵の陳列をみるのも あまり変わらない。どちらも注意ぶかくデザインされ、あきらかに見る目を意識してレイアウトされている。 ただし、スーパーは建物そのものは品がないので、この点はカタツムリのほうがいいやね。 てくるで、あのカタツムリの改修はもう終わったんだろうか?

(追追記) これまたどうでもいいことだが、 ときに新山は、ぜんぜん追記じゃなくても「(追記)」とかくことがあ (る)。 理由はよくわからず。

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(13:17)
アツいね。

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(19:19)
が強かった。

死人が出たわけでもないのにマスク厳戒態勢のアホな国。 たしかに地下鉄でみんなズラー〜っとマスクしてたら絵になるだろうし、ガイジンはびっくらこくだろうな。 そういや、この記事にも書いてあるけど、まえSARSが出たときに、 どっかの台湾人の感染者が入国したせいで大騒ぎになったことがあった。 ほんと、この国は一斉行動 (そして仲間はずれ) が大好きな国だよ。

とくにダメだと思うのは…もし彼らがあきらかに危険だという信念をもってマスクをしてるんなら、 まだいいのである。でも日本人はべつに危険性なんて本気で信じちゃいないんだからなあ。 彼らが本当に恐れていたのは、いざ感染したときに「責任をとらされる」ことだけなのだ。 なぜなら、日本でいざコトが起こったときに問題とされるのは「きちんと規則に従っていたか」どうかという (機械的にできる) 判断がほとんどであり、「実質的に意味のある規則だったか」どうかはほとんど問われないから。 たとえまったく車が走っていなくても、信号無視するやつは、とにかくムカつくので死刑にすべし! …この背後にあるのは「みんなガマンしてやってるんだから、 お前ひとりだけ抜け駆けは許さん」という思考である。 ようするに、みんな規則に意味がないことは知っているのだ。怒られるのがコワいから守っているだけ。 ロボットのような人々だよ (日本ではロボットは人気ある、なぜならみんな親近感を感じるから!)。 我々は「規則を守る」ためダケに (たとえ実質的な効果が皆無でも) 多大なコストを 支払いたがる民族だ。これは、会社の PC なんかにおいても、 (遅くなることを除いては) なーんんの効果もない Norton なんぞを わざわざ動かしてる人が多いのを見てもわかる。そのわりには、 どっかからダウンロードしてきたアヤしいツールの .exe なんぞを 平気で実行したりしてしまってるのだ。なんでこんなひどい矛盾した行動をとっていて みんな頭が爆発しないのかと、オレは不思議でしょうがない。

それにしても、この手の騒ぎが起こるたびに思うことがある。 日本はたぶんものすごくテロに弱い国だろうと。 実際、ほとんどの駅にはまだゴミ箱がない。

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(18:42)
それにしても、最近の -- これはもう5年ぐらい前から思っていたことだが -- PC関連製品における青色LEDの濫用ぶりには目にあまるものがある。 お前ら使いすぎだ!! こンにゃろ。
(08:18)
そういえばこれは書き忘れていたけど、このあいだの例のアレの話が進展したせいで、 「お役人的な思考体系」というものがちょっとわかったような気がする。 企業の人間はふつうコストや効率のことを考えるが、 それは製品の開発や生産にかかるコストであって、 (新山のような人間はとくに) 事務処理にかかるコストを無視しがちである。 ところが、役人にとっては「事務処理のコスト」こそが唯一のコストなのだ。 だから彼らに裁量が与えられたとき、彼らのつくる枠組みはどうしても 事務処理のコストを最小化にするような設計になりがちである。 それにしても、なんでそんなバラまき政策なわけ?? 理解できんよなあ。こういう例を見ていると、「小さな政府」に賛成したくなってくるね。

…でも、まあ、この程度の予算なんてものは、彼ら省庁からすれば会計上の1行の 「ほんのおまけ」程度なんだろうけど、ウチのような規模の会社にとっては、 この10分の1でさえ通常のキャッシュフロー的な感覚をはるかに超えていると、まあそういうことだ。 こんなのに巻き込まれて不渡り出したら大変ですよ、社長。

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(23:22)
なんか
花粉が
飛んで
るの??

目がかゆいよ。きょうはクシャミもでるし。いったいなんの花粉だろ?

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(23:14)
@ @ @  

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(08:09)
またおかしな夢を見てしまったので、朝から元気がない。 (新山の気分はかなり夢に左右される。) こういうことがあると、自分がした洗濯はほんとうに正しかったのかと思ってしまう。 しかし、どんな選択をしようとも、結局 (ケッキョキ) 結果はたいして変わらないのではないかとも思っている。 それに、ヒトができることは選択することだけなのだ。

それにしてもまたきょうは暑くなるよ! すでに窓の外にはそのきざしが現れている。

(19:14)
きょう、どっかのスーパーで買い物をしたとき、新山の目の前に並んでいたおばさんが、 合計金額 1,095円 を支払うのに、その「95円」の部分を 1円玉のみで払うという、 たいへんクリエイティブな支払い方法を実践していた。後ろに並んでいた新山はそれを ニコニコしながら眺めていたが、そのうち彼女はあきらめて5円玉を出しはじめ、 なんとか新山は夜が明ける前にレジを済ませることができた。

…以前の新山だらば、途中でブチ切れて別のレジに向かっていたかもしれない。 これが円熟というものなのか、あるいは米国でこれを はるかに上回るアホさ加減を目にしてきたおかげか??

(23:29)
あまりyoutubeの動画をリンクするとアホだと思われそうなので控えていたのですが…・・   こヽれヽはヽ秀逸だ!!

Awesome Video Games Ep. 55 - Excite Bike

あまりにもキチガイ的なテンショニの高さのせいで、アメリカ人でさえもシラけるという例 (コメント欄を参照)。っていうか連中のジョークが早口でナニ言ってんだか、ぜんぜんわかんない。 にもかかわらず、新山はこのサイケな演出といい、こいつらの自暴自棄な演技がけっこう好きだ。 ここまで暴走すればある意味、立派だる。

どうでむいいけど、新山は自身ではぜんぜんゲームをしないのに、 なぜか「ゲーム動画」を見るのは好きなんだよな。 同じように自分では映画をぜんぜん見ないのに映画評論はけっこう読んでいたり、 小説は読まなくても書評はけっこう読んでいたりする。 ようするに、オレは批評が好きなのだ。たぶんね。

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(11:26)
感染者の数の報道が、まるで統一選挙のあとのマスコミの「当確」合戦のような気配になりつつあると 感じるオレは不謹慎だろうか。もうとにかく数を増やせばいいや、しかもできるだけ速く、みたいな。

しかし、日本ではそれ以外に報道するものがないともいえる。 たとえばあれだけ感染者がいる米国の新聞を見ると、 swine flu のことなんかもうぜんぜん載ってない。

そういえば、阪神大震災のときの被災者数もこんな感じだったような (深刻さではこっちのほうがぜんぜん上だ)。 結局、なんだかんだいって 日本人はこういうのがスキなのだ。「阪神大震災は笑えた!」にしたって、真実をついていたから広まったのだ。 マスコミの側もこうすれば売れる (注目してもらえる) と知っているのだろう。 彼らのいう「知る権利」というのは、要するに需要と供給ってやつである。

やあ、おはよう。

(18:04)
雨ふるなら今日のうちに降ってくれよ。 明日自転車が使えないのはヤダよ。

ちなみに、nytimes記事にょると今回のウィルスは 感染・発病しても熱が出ない可能性があることが指摘されている。 だから「発熱相談センター」とかつくっても見つけるのはより困難だろう。 …てくるで、なんでも遠回しにいう傾向のあるこの日本国では、今回のインフルエンザも やはり符牒で呼ぶのではないだろうか。ついでにアニメの国なんだから、 豚インフルのキモかわゆいマスコットキャラクターなんかは作らないのかい?

きょうの結論: 箱根に関所をつくって関西人をせき止めるべし。

(ぜんぜん脈略のない議論を堂々とできる自分がチょっと気に入っている。)

(23:55)
さむい週末だったので、けっこうプログラミングが進んだ。 まあそんなもあるさ。

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(11:24)
先週、これまで使っていた冬用のジャケット (つうか、実際にはスキージャケットの上着) を クリーニングに出したのだったが、会社のカギを入れっぱなしで出したのを完全に忘れていた。 きょうになって取りに行ってみたら「カギが入ってましたよ」と言われ、 ガビーソな状態に。しかもお気に入りの「PACmate with JAWS」イルカちゃんキーホルダーまで つけっぱなしでわないか。まあ無事だったからいいけどさ。なんというオレはアホだ!

きょうも曇りでやや涼しい。

(12:25)
不満、不満、不満、不満。不満、

オレはなぜいったいこうも不満症 (こんな病気があったならば) なのだろう。 もしかして、オレは人間的に欠陥があるんじゃないか?   この考えはこれまでに幾度となく新山の頭の中をよぎってきたが、 そろそろ、いいかげんに、アイデアを実行に移す時かもしれない。

まあ、それがいいというのであれば。

(01:45)
Ubuntu にインストールされてる Python を使うと、例外が起きたときに一瞬、動きが止まる。 python -v を実行してみると例外発生時にモジュールを大量にロードしているのがわかる。 これは Ubuntu にふくまれている、apport というエラー報告プログラムのためだ。 このウザいふるまいを消すには apt-get remove python-apport すること。 つうか、そもそも新山は apport 自体がいらない。べつにエラー報告をしたくないのではなく、 そもそもそんなアプリケーションを使っていないのだ。 Emacs が年に1回ぐらい落ちるときあるけど、これはどうしよ。

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Yusuke Shinyama