2009/6 (a)

Last Modified: Mon Jun 15 20:49:32 JST 2009

そういえばニッポニには梅雨というものがあったのを忘れたいた!!

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(07:45)
線一本と点ひとつ。あとは適当。
(18:46)
どぅーでもぃーけど、現在マスコミで報道してる、 インフルエンサの感染者数って、あれ、累計なのか。それとも「現在のアクティブな値」なのだろうか。 累計だとしたら、すでに治癒している患者を数えることになんの意味があんのか (読者を必要以上に心配させる、というすばらしい効果をのぞいて)。 世の中には誇張すべき数字とそうでない数字がある。…のか?? いや、理系的考え方によれば、すべての数字は誇張するべきでない。 数字を無視する人間も、逆に神聖視する人間も、すべて文系である。 理系にとって、数字は数字だ。それは現実でも想像でもなく、ただの数字である。

てくるで、理系ってなんだ??

(19:43)
なんかオレ最近、“あめ男”だ…。 きょうは帰りに会社から出たら雨がふりだし、家についた頃やんだ。 そのあと買い物に出かけたらまた降りだした。まったく、なんてこった。 きのうの件もあるし、チクショウ。

ちなみに新山的理解によれば、「あめ男」とは、 雨を降らせる力をもった男のことではなく、単に 「雨が降るときに限って、外出したくなるような男」のことである。 ようするに、カエルのような奴ともいう。

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(19:38)
ふう〜〜!!

グレートな入浴だったね、いや、本当に。 (なんしろ、銭湯の帰りにもう一度入浴したという意味で)

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(15:28)
言葉に泣くものは、言葉を泣かせている。(?- !)
(23:14)
自分で料理をするとよくわかるのは、市販の既製品がいかに調味料を 大量使用しているかということである。最近つくづく思うのは、きんぴらだ。 新山の好みで作ると、だいたい市販のものより圧倒的に味薄になるのだが、 これでもかなり塩や砂糖を入れてるのだ。いったい市販のキンピラゴボウには いくら砂糖が入ってんのかと思う (それとも、あれはサッカリンとかステビアを使ってんのか??)。 いなり寿司とかもそうだな。あれだけ甘くするには、砂糖をドバっと それこそ文字どおり山のように入れなければならない。そしてそれは一方で 消費者を喜ばせるためかもしれないが、もう一方でひどい素材の味をごまかすためかもしれず、 ようするに、中国産。 ← この支離滅裂な論旨の流れを見よ。 にもかかわらず、オレはこういう爆発した会話がけっこう気に入っている…まてよ、会話だって?? ungyhaadgzimitty.

てくるで今日はなんとなく新オウメ街道を自転車でこいでたら杉並までいってしまった。 このあたりの西武線沿線は、どこも同じという結論だけを得た。 まあこれは東急線沿線でもそうだったから、べつだん驚くことではない (そして、まだちゃんと観察したことはないが、東武線沿線でもおそらくかなり真であろうと思うのである)

だから何が言いたい? オレに!!

(追記) そうだ、そういえば今日は pyntch で検査したコードで自分が気づかなかったバグを発見した。 つまり、はじめて実際に役に立ったことになる。

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(07:54)
vermin! vermin!
(23:45)
なんかカフンショっぽい。 きょうは途中でなんか書くこと思いついたんだけど忘れた。 あ〜もう!
(00:14)
ひょんなことから、ふと Unix V7 のソースコードを見つけてしまった。 いやーすごいすごい。さすがに V7 ぐらいになるとだいぶ Unix っぽくなっており、 ed も awk もある。cc もある。でも /usr/include/stdio.h とか 読んでみたら衝撃。こんだけ? ほかにも、 Bourne Shellのソースコードで使われているマクロ もかなりショックである。

そしてきわめつき、yes.c の内容は、これ:

main(argc, argv)
char **argv;
{
        for (;;)
                printf("%s\n", argc>1? argv[1]: "y");
}

これだ、これぞ unix の世界だ…。

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(08:11)
はっははは。また Wikipedia で書き換え騒ぎ (こう呼ぶのが正しいよね?) だ。 今回はOOXML形式 vs ODF形式について。 serisouly... ウィキッペを真面目にとるのはもうやめないか?? たしかに、アホみたく単純な事実の羅列 (たとえば、MBRの構造など) を調べたいときに Wikipediaは役に立つ。しかし、やつらに主観的な意見を求めてはならない。 そうしないと眉が唾でデロデロになってしまうあるよ。 あまり度が過ぎるとそのうちお役所が介入 (余計なお切開) してきそうな気がするのだが。
(19:35)
きょうは、“ばうんす (bouns)”が支給された。そして某スウパーのポイント10倍日だったので米を買った。以上

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(20:26)
てくるで、今日は昼飯をくうのが遅かった。 今年の新山の (会社での) 抱負は、「昼はちゃんと妥当な時間に食べる」ということだあるので、 これはゆゆしき問題でうる。そんで、3時半ごろメシを食いに出かけるとき 「ついでにこれ捨ててきて」とゴミ出しを頼まれたが、なにを思ったか ゴミ袋をもったままオリジンに行こうとしてしまい、道を渡りかけてフト思った。 「なんか右手が重いなあ、オレはいったい何を持ってんだろ?」 きょうはいい具合に狂っていて广广。

…しかし、わかったのだが、オレは昼飯を食っても食わなくても 結局 (ケッキョキ) 3時半ごろになると必ず眠くなるようだ。 だったら飯はちゃんと食ったほうがましである。ちなみに、 新山はいつもわりと職場でオヒルネする (モルヒネとは無関係)。 「眠いんで15分寝ます。おやすみ!」と宣言して、バタっと寝て、 起きるとだいたい 15分たってる。我ながら、これってすごい才能だと思う。 新山のいつもの昼寝スタイルは「イスを下げて、ハンカチを敷いて、机につっぷして ヨダレたらしながら寝る」というものだが、いまどき高校生だってこんな カッコ悪い寝方はしない。

(18:58)
真実を知るなどということは無理な話である。 うちらにできることは、せいぜい現実を知るくらいだ。 それだって、大層むずかしいように見える人がたくさんいる。fnga

どうでもいいけど (ddy),defcon.org はサーバに publicfile を使っていることを なぜ隠すのだろう。ヘッダには "lighttpd" とあるが、中身が何であるかは比べてみればバレバレなのに…。 無駄な抵抗はやめれ!

$ curl -I www.defcon.org
HTTP/1.1 200 OK
Server: lighttpd
Date: Wed, 10 Jun 2009 10:04:33 GMT
Last-Modified: Sat, 06 Jun 2009 01:17:10 GMT
Content-Type: text/html
Transfer-Encoding: chunked

$ curl -I tabesugi.net
HTTP/1.1 200 OK
Server: publicfile
Date: Wed, 10 Jun 2009 10:04:38 GMT
Last-Modified: Mon, 01 Dec 2008 15:23:17 GMT
Content-Type: text/html
Transfer-Encoding: chunked

$ curl -I www.lighttpd.net
HTTP/1.1 200 OK
X-cleanurl: hit
Content-Type: text/html
ETag: "1307744016"
Accept-Ranges: bytes
Last-Modified: Fri, 22 May 2009 11:48:02 GMT
Content-Length: 12353
Date: Wed, 10 Jun 2009 10:04:59 GMT
Server: lighttpd/1.5.0

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(08:10)
きょうもゴミ収集車を追いかけた。 火曜日 (=プラスチック) のゴミ収集車はいつもほぼ時間ちょっきりに来るようだ。 油断できない!
(22:59)
ふう。この時間に帰ってこれた。 ところで、きょうの成果は「聞こえない」と「聴こえない」は 違う手話だということを知ったことである。 ほかにも「ろう者」と「ろうあ者」と「聴覚障害者」もきちんと区別して 表現したほうがいいらしい。人間ってむずかしいね…。

どうでもいいが(ddyro)、最近「視覚障害者」って言い方は あまりよくないんではないかと思い始めている。「盲人」のほうがいい。 なぜなら「盲人」は単に身体の状態をさしており、ニュートラルな印象だが (ニュアンスとしては「妊婦」のそれに近い)、「視覚ショーガイ者」って 言い方はあきらかに欠落を意識させるから。それに盲人自身、「視覚障害者」という お役所っぽい言葉よりも「盲人」という言葉を堂々と使っている印象がある (たとえば新山はいままでの人生で「盲界 (モーカイ)」という単語は一度も聞いたことがなかったが、 これはみんな普通に使う)。 本人の好みもあるからいちがいには言えないが、 新山がみるかぎり、ただ責任逃れという理由だけで「視覚障害者」という言葉を使っている人々は、 非常に冷酷に見える。そんなやつらが善人ヅラをしている昨今ですが、 さて停留所はいくつありましたか???

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(22:08)
なんでこう寒暖の差がはげしいの?

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(16:46)
きょうはとてもよい陽気だある。よーするに暑い。 今日は休館日ということを知らずに中央図書館へ行ってしまい、ガビーソだった。 まったく、ちゃんと図書館カレンダーにもそう書いてあるのに、しかも家の壁にも貼ってあるのに、 なんてこった。その後、仕方ないので本屋へ行き、本をあちこちみてまわる。 新山はなるべく本屋や図書館では一カ所に止まらないようにしている。 なるべくまだ行ったことのない棚に行くようにしているのだ。 そういえば、話題の「モギ健一郎」の本も見てきたぞ。 合計3冊を1分ほど立ち読みしたが、こいつはエッセイストとしても全然面白くない。 基本的に「人から聞いたこと」の受け売りか「ひけらかし」ばっかり。 自分なりの洞察というか考察がまったくないのだ。新山は、本を書くとすれば その目的は究極的には「娯楽」か「実用」の2つしかないと思っていて (まあその中間点として「教養」というのもあるけど)、いつもダメな本を見たときは 「その本来の目的が何であったか」を考えるのだけど、この人の本は娯楽としても実用としても さっぱり成立してない。至るところに「人は感動すると脳細胞のシナプスが…」 みたいなことが書いてあるし、科学を啓蒙したいなら、もうちょっと柔軟な見方をできないもんかね。 つくづくアタマが固い人だと感じる。まあいいや。

次に (不本意ながら) 時間をかけてしまったのが計算機のセクションである。 しかし、プログラミング関連の書籍はあいかわらずどれもこれも同じような内容なので 特にいうことなし。新山はプログラミング関連の書籍は、その言語の設計者が書いた 解説書しか持っていない。たとえば K&R (C) や Gosling (Java)、 Stroustrupp (C++)、Armstrong (Erlang) はみんな持ってるが、 逆にいうとそれだけしか所有してない。 Pythonの本はまったくなし (Zopeの入門書は買ったが、アメリカに捨ててきた)。 でも、ふつうの人はこんなもんで十分だと思う。 インターンのときに "Effective C++" かなんかを渡されたが、 こんなの1年に何度も読むようなやつは終わってるよ。 リファレンスマニュアル的なものを除けば、プログラマは最終的にはすべてなんでも 「身体で」覚えなければならない。法則的なものはとくにそうだ。 もし1度読んで身につかなければ、少なくとも2〜3年は待たないとムダである。 もしプログラマがこの手の書籍を何度も読み直すほどの時間があるならば、 それはそいつがヒマだということを意味する。 ふつうプログラマにはそんな時間はない。もっとも、新山は ワインバーグの本をときどき読み直したりしているが、これは何かを学ぶというよりも、 むしろそこに書いてある教訓を思い出して「いい気分になる」ためで、 熱心なキリスト信者が聖書を何度も読むのに似ている。 まあ、それが "Effective C++" だ、という人がいてもいいけどさ… ふつう、そういう本はもうちょいと深い内容をもつものじゃないかい? もし "Effective C++" なんかを「座右の銘」として置いている人物がいたら、 そういうヤツにはあまり近寄りたくないと思うのである。 ところで、上にあげた中には C# がない。なので、最近会社で "Pro C# 2008 and .NET 3.5 Platform" を買ったけど、これはなかなかいいね。 ただし厚い (1300ページもある)。

(22:43)
きょうは夕刻になってから、中野駅の近くにある天神湯に行ってみた。 うちからはやや遠いが、昔ながらのオーソドックスな銭湯でよかった。 ちなみに背景は富士山である。帰りは早稲田通りのサントクで買い物。 このようなとき、自分がフツーの生活を送れているということがとてもありがたく感じられる。

新山は銭湯から帰るときによくかような多幸感に襲われる (襲われるだって? ヘンな言い方だ…)。 なんでか知らないが、銭湯から出たあとはしばらく、世界がやたらメルヘンなものに見える、 って言ったら、おかしな奴だろうな (もともとおかしいのだ)。ついでに、いつも銭湯から出たあとは なぜかオゾン臭がする。これはどの銭湯でもそうだ。自宅の風呂では感じられない。 これは銭湯へ行くと嗅覚が敏感になるからなのか、あるいは銭湯にほんとにオゾンが多いからなのか? ようわからんね。

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(09:21)
さいきん気になっていることのひとつが、 「トイレットペーパーのミシン目はなぜズレる時と、ズレない時があんのか」とゆうことである。 厳密に考えれば、2枚重ねのトイレットペーパーの場合は、外側 (上側) の紙のほうが 内側の紙よりも 1周が微妙に長いはずだから、長く使っているうちには上側の紙のほうが だんだん足りなくなってズレてくるはずである。これは生産時にあらかじめそれを計算して 上のほうを長く作ってあるのかもしれないが、しかし同じ種類のトイレットペーパーを 使っていても、これがズレてくる場合とズレない場合があるのだ…なんで??

ま、どうでもよろ。

(23:00)
ImprovEverywhere のビデオが増えていた:

こういうのを見ると、いやー、NYってなんかいいなあ、と思ってしまう。 でも、やっぱもう行く気はないケド。

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(19:10)
さてと。

世の中には、ある程度の苦労をしてエラくなった人と、 “タナボタ的”な方法でエラクなった人がいる。 このふたつは、ときに一見して区別がつかない (こともある) ので、 注意が必要だ。

別になんでもないよ。

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(21:53)
Okularとゆうのは、PDFを読むためのKDEアプリらしい。で、それがPDFの 「ユーザのテキスト抽出を禁止にする」仕様をサポートしたことで なんと叩かれているのである。おいおい、なんだそりゃ? 具体的には この記事。 Subscriber-onlyだけど、200個近くもコメントついて完璧に「炎上」している。 新山もPDFを扱うソフトウェアを公開しているので、これはあんまり他人事ではない。 Bruce Perens も出てきているが、かれはオトナな対応だ。 一方それにからんでいる連中はなんなんだ、さっさと Slashdot に帰れ! で、新山が投稿したコメント中でも言っているのだけど、PDFの禁止属性とゆうのは robots.txt に似てる。 これらは単に「やっちゃダメよ」というメタ情報が書かれているだけで、原理的にテキスト抽出が 不可能なように作ってあるわけではない。どちらも破ろうと思えば簡単にやぶれてしまう (じつは新山のプログラムでは、pythonで書かれてるだけになおさら問題の部分を見つけやすいのだが… とにかく推奨しないよ)。

しかし、前に robots.txt を設定したときにも書いたけど 「できる」ことと「やってよい」ことは違うのである。 この区別がつかねえガキが多くて困るよ、ホントに。 ほとんどの「関係者以外立ち入り禁止」という看板が、看板だけで済んでいるのは、 たいていの人はそれにおとなしく従うからだ。本当に立ち入り禁止を徹底するために、 鉄条網や電気柵を置くようなところはわずかである。PDFやWebサイトも同じことで、 たいていのソフトウェアが規約に従うよう期待されているからこそ、あんな軽量な メカニズムだけですむのである。PDFの仕様に反対しているアホな連中は、 これがフェアユースの権利を妨げるからとかいっているが、本気でいってるとしたら アメリカ特有のバカだ。それとも彼らは、PDFの利用を本当に 制限するような、バグだらけで暗号を大量に使った (にもかかわらず、原理的には破綻している) ストロング DRM を Adobe が強制するようになってほしいのだろうか? もし著作権者からの要求が強くなれば、Adobeが絶対にやるだろう。 でもHDMIやら地デジやらのバカさ加減を見よ。あれだけやっても、結局は 「まったく普及しない」か、あるいは「すぐに破られて笑い者にされる」かのどっちかだ。 なにがなんでも技術的な手段で物事を解決しようとする人間はただのアホである (そういう人間がエンジニアをやってたりすると身の毛がよだつ)。 新山は概念としてのDRMにはべつに反対しないが、技術的にヘビーなDRMには100%、反対だ。 長期的にみれば、それはメディアにとって破滅への道でしかないと思う。

(追記) さて、日本ではどっかのアホがP2Pソフト作って著作権幇助で逮捕されたが、 米国ではもっと直球なものとして United States v. ElcomSoft and Sklyarov 訴訟があった。 こっちのほうが罪状がはっきりしているだけにより深刻だる。 いまやPDFソフト作ったらホントに米国政府に逮捕される危険性があるわけですよ。こわいねえ。

/02 [2]


(08:09)
きのうの会社での会話…

「新山くんは山梨 (出身) だったっけ?」
長野ですよ! 山梨なんかと一緒にしないでください」

それにしても、オレは自分でも驚くほど地域ナショナリストである。 べつに長野がたいして好きなわけじゃないのに、 なぜか「故郷に対しては、感情的に反応しなければならない」と自分で思っているようだ。 いったいなんでこうなったのだろう?

(20:51)
きょうの教訓:

オレ / 自転車 / 乗る / 時 / 手話 / 練習 / 時 / 手放し運転 / すげえ危険!

結論: やめましょう。

(21:42)
日記って毎日 排泄しないと頭おかしくなるよ。ウンコと同じ。

さふいへば、久しう゛りに www.engrish.com を見てみたら、 トップページでのっけから爆笑してしまった。だって、これだぜ:

Kigurumix are very cute dancers. Please watch their dance when you are depressed or hard. You will surely very happy feeling!

あきらかな文法間違いはおくとして、"hard" というのは 文字通り「固くなる」という意味である。スラングでは、 これは非常にヒワイな意味をもつ。てゆうか、直訳でも通じるよね…。 まったく、オレにこんなこと書かせるな!

(追記) コメント欄をみると「落ちこんでる (depressed) ときに hard になるのって難しいよね?」 とかいうコメントが並んでいて、なおさら笑える。

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(08:05)
この日記を書きだしてもう12年になる。うげっっ、そんなに!
dood!!

しかしそのあいだになにかが変わった。おそらくは。
ごんごn

いい歳して一体オレはなにやってんだ? (そもそも、いい歳って?)

(08:12)
記録のためにここに書いておく。 最近、耳たぶの内側のミゾのところが カッターを入れたみたいに縦にスーっと 2cm ほど切れていたので、 これはナンだろう? と思っていたら、どうやらこれは切れたのではなく カブレたらしい。たぶん、石鹸かシャンプーかなにかが残った状態で 寝たのだろう。しかし、ちっとも気づかなかった。

あー、旅行いきてえ。

(20:12)
てくるで、redneck という単語はおおかたの日本人に正しく理解されてないようである。 新山の理解によれば、もっとも極端な例では、redneck とは次のような属性をもった人々だ: 以上です。ちなみに American Gladiators とは、アメリカ版「筋肉番付」みたいなやつである… といっても、新山は「筋肉番付」だってほとんど見たことないが。

さらにいえば、うちの親がもしアメリカ人だったら、きっとredneckだったろうと思う。 (いや、それはいいすぎか? 父ちゃんごめん)

参考リンク: http://www.youtube.com/watch?v=4TthHltjrvA

ちなみにオレは Family Guy って嫌いなんだ。


Document ID: 6d2816fd102c9ce667629687ff05fa4a

Yusuke Shinyama