brawg TB? whatdaheck is brawg TB??
==
を使って x == None
のようにやっていた。
is
を使うのはイカンのだと思いこんでいた。なぜなら
Pychecker が "it may not work." と警告を出すからである!
ところが実はこれは Pychecker のバグで、
PEP-290には明らかに is を使えと書かれている
ことがわかった。なんちゅうコった。
このように、人はときに (自分でも気づかないうちに) おかしな習慣を身につけてしまうものである。おわり
ひゃっほう!
→「う」
通称電波しりとり。 誰かの考えている単語を勝手に連想し、それを使ってしりとりを行こない、結果を相手に返信んする。 たいていは返ってこない。
A lot of friendly people sent me things, it's nice of them I think, but most of them are junk I don't want. So keep the stuff coming.
(実は1回目は10分を大幅にオーバーしたので撮り直したのである)
その場所とは、 大 阪 である。
さて、大阪に関しては、多くの人々にあまり知られていない 事実があるようだ。ここでそのいくつかを指摘しておくと…
知られざる大阪の真実:
…まあ冗談はともかくとして、なかなか楽しい旅行であった。 はじめて駅から出たときは南北を完全に間違えており、 ミナミに向かって歩きはじめたつもりが、いつのまにか新梅田シティに いる自分を発見したりしたが、すぐに慣れる。大阪は街路がとても整理されており、 ナビゲートしやすい。というか、東京が狂っているダケなのだが…。 (東京ほど観光客に不親切な大都市もないと思う)
今回は2泊したのだけど、ほぼ予定したところにすべて行けて満足であった。 国立民族学博物館へいってルイ・ブライユ展も見てきたし、動作中の手廻しオルガンも見てきた。 国立民族学博物館はそんじょそこらのハコだけ館と違って、かなり真面目な研究機関だということがわかった。 規模もアメリカ自然史博物館と同じぐらいある。しかしあまりに膨大なうえに順路が1本道なので、 『オセアニア』のセクションなんぞで関心していると最後の『日本』にたどりつくまでには すっかり疲れきってしまい、いちばんオモシロイ部分をちゃんと見れないという問題がある。
ひとつ完全に「やられた」と思ったのは、太陽の塔があんなに バカでかい物体 だとは知らなかった。ありゃあ、インパクトあるわな。 いっぽう、大阪城ってあんなに低いとは思わなかった。石垣が立派すぎて、 建物がヘボく見えてしまう。あと、通天閣の周囲は、かなり観光地していた。
さて、新山は旅先にいくとなぜか意味不明の義務感のようなものが生まれ、いつもかならず 地元の人しか行かないような店に行きたがる。今回は1日目は 新世界のあたりで地元のオジチャン・オバチャン達が集まってカラオケをやっている飲み屋に入った。 こじんまりした店で、最高8人ぐらいしか入らない。料理は作りおきのものが並んでいて、 メニューはなし。ほんとに原始的な (失礼) 店だる。 新山のような人間が、こういうとこに入っていくのにものすごい度胸が必要だというのは想像してもらえると思う。 しばらく店の前をウロウロしたあげく (ちなみに向かい側はオールナイトのピンク映画館)、 意を決して入った。ま、入ってしまえばどうということはない。 「一人できたの? 勇気あるねえ〜 でもアンタは運がいいわ、ここはいい店よ〜」と言われる。 お客はうちの親と同年代か、それよりやや上の人々。みんな顔見知りのようで、 自分の漬物を店にもってきてみんなに配ったりしていた。 東京から来たといったら、カラオケをやってる人々は「釜ケ崎人情」とか「道頓堀人情」とか 地元っぽい歌ばっかり歌ってくれる。その後おまえも歌えとしつこく勧められるので、 しょうがなく中島みゆきを歌ったらドン引きされ、その後2度と勧められなくなった。 こういうところでは、新山は“若者”ということになってしまうので、 「あんちゃん、これホテル持って帰ってあとで食べや」とか言われてビスケットなど渡され、 何が何やらわからんままに時間が過ぎる。
2日目はじゃんじゃん横丁の 立ち飲み屋で、店のオヤジを相手に世間話をしながら、あれこれ見たことのないメニューをたのむ。 長野出身だというと、「こんなもんは信州にはないやろ〜」と言われ、 いろいろ変なモノ (紅しょうがの天ぷらなど) をススメられた。 新山は本来ひっこみ思案な性格なので、ふだん一人で酒を飲みに行ったりすることは絶対にないし、 そもそも自分から酒を飲むこともないのだが、1年に1回ぐらいは こういう経験をするのもいいかな、と思う。 こういうのは、オトコの一人旅じゃないとできないよな。 ちなみに通称「釜ケ崎」にも行ったのだが (泊まらなかった)、 東京・山谷の安宿街がだいぶ一般化してきたのに対して、 こっちはまだドヤ街って感じがするし、全体的に規模が大きいように感じる。 屋台で営業している店が多く、あいかわらず道にはチャリンコが山のように停まっていた。
ところで (てくるで)、大阪の電車に乗っていてひとつ気づいたことがある。 東京でも大阪でも借金整理の広告ってのは多いが、東京の場合はだいたいどれも 「あきらめないで、必ず返済できます!」っていう感じの文句が多いのに、 大阪ではこれがなぜか「あなたの払いすぎた利息が返ってきます!」 という調子になってる。ほとんどの広告がそうなっている。 これが、文化の差というものなのか?
…それが正直な感情ならね!
(追伸)
人間の「素直さ」というものに対して、非常に関心がある。
ある人が「自分はこう思っている」と考えているとき、
果たしてその人はどれくらい本当にそう思っているのだろうか?
あきらかに、ヒトは自分の感情に対して (自分でもわからないほどの) 幾層もの
覆いをかぶせることができるようだ。そして、その数は人によってどれくらいの差があるの
か?
(ウソ発見器の話をちょいと思い出した。その人がウソをついているかどうかは、 あきらかに、それを見る階層によってちがう。一人の人間の中にさえこれほどの相反する “事実”が存在していると知ったら、カミサマはさぞかし驚くだろう)
P.S. 「ニンゲん』
((追々伸)) …新山はこの日記を冗談半分に書いているが、上のように、 自分自身の内部に果てしなく潜りこんでいくような態度は、 たとえ冗談であっても、自分で見ていてかなり不気味である。
(追記) 新山が、こうした共有幻想のようなものを嫌う理由は、たぶんオレが 他人というものは本質的に理解できない、という立場をとっているためであると思われる (←実際にはこの言い方はおかしい、オレはべつに好きで特定の「立場」なんかを「とっている」わけじゃない、 ただそうなってしまっただけだ)。世の中には「みんなつながっている」というような信念が、 とてつもなく気色悪いものに感じられるオレのような人間もいるのだ -- が、 とにかく自分は少数派なようである。(そして、どうやらこれは国や民族とは相関しないらしい)
正直いって、ぜんぜん完成したような気はしない。 でも、まあ、新山の文書力などこんなものだよ。 さて寝るか。
オリンピック開催地はこいつらにくれてやるべきだった。 いや、ホントに。
新山は、オリンピックに対して原発のような感じを抱いている。 つまり、やるのには反対しないが、ウチの近くでやるな。 あとは、どうでもいい(DDI)。
「あ、John Edward だ!」
こないだマックで月見バーガーの宣伝をしている外人 (自称) の写真を見て思ったこと:
「あ、Linus Torvalds だ!」
…まあ、江原なんとかと John Edward は雰囲気が似ているだけだが (自称“霊能力者”はみな、こういうフテブテしい顔をしているのだろうか)、 月見バーガーの人はほんとに似ている。
doudemoyoro. っどi
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Yusuke Shinyama