2010/2 (a)

Last Modified: Thu Feb 18 10:31:35 UTC 2010

この電車は砂糖不使用です。

/18 [Thu]


(19:03)
きのうは生まれて初めて「NHKの集金」がきた。 (日本に帰ってからはdefinitely初めてだし、 大田区にいたころは下宿だったので直接は集金がこなかったのである) 「テレビはありません」と堂々と返答。 なんだか知らんが「勝った!!」と思った。 新山は携帯をもってないので、ワンセグ云々も一切関係ないもんね。

新山祐介、この歳にして、いまだに素直な生活。

どうでもいいけど、オレって一体今年で何歳なんだ? まあ 35くらいってことにしとこう。

(19:10)
tekurude, ヨウカン (羊羹) を携帯電話のバッテリーと間違えた男の話を知ってるかい?

(まちがってもその男はオレではない。 新山はバッテリーを羊羹と間違えて食うことはあっても、逆はありえない、決っっして。)

(19:13)
そういやー、忘れないようにメモしておくが、このまえの クルーグマンせんせいのコラムを読んだら、 通貨統合って実は「ファイヤーウォールをなくす」ようなものだったんだな、と思った。 つまり、利便性は上げるが、セキュリティは下げる。 どっかの国がコケるとその被害がヨーロッパ全体に広がってしまう。 だからユーロ圏に入るには十分に信頼できる認証を確立しておく必要があるが、 いちどアヤしい奴を /etc/hosts.equiv に入れちゃうと、あとが大変。 一体、何の話だっけ?

/17 [Wed]


(18:54)
よく思うのだが、「オレはもう恐怖を克服したぞ。どりゃああああ〜〜〜!」 とかいって突撃する人々は、じつはちっとも恐怖を克服していない。 また「オレはもう決心がついたぞ。おりゃあああ〜〜〜!」とかいう 選択をする人は、じつはちっとも不安を克服していない。 残念ながら、恐怖や不安を「克服できる」なんぞと思っている時点で、すでに 逃げ腰であり、弱い。ほんとの精神的な強さとは、恐怖や不安をなくすことではなく、 それが常に存在していることを認め、それを 死なない程度に凝視しつづけることだと思う。

ま、オレは別に強くなくてもいいけど。

/17 [Wed]


(00:20)
きょうは大田区の某中学校から中学生が会社見学にきて、 新山はその相手をせねばならなかった。ちなみにその中学は 東工大のすぐそばである。新山は、機器のデモをしているあたりは まだいいのだが、問題はその中学生連中から書面による質問状なるものが 届いていて、そこには「この仕事につくきっかけは何ですか」とか 「やりがいは何ですか」とか、「いまの中学生にメッセージを一言」とかいった 質問が書かれている。そんなん、オレの知ったこっちゃねーよ! もちろん、ソツのない回答だけを提供するのであれば、 新山がこの仕事をしたいと思ったきっかけは 「計算機科学を社会の役に立てたいから」…とかいうことになるのだが、 それはあまりに優等生的すぎる。もっと気の狂った回答はないものか?

正直なところ、新山はわりと自分の希望通りの職につけたと思っているが、 その背後にある理由は、じつに他人に説明しづらい。 まず新山はわりと守備範囲が広いので「この仕事じゃなきゃ絶対ダメ!」っていうのは あまりなくて、複数の希望がもてるのだが、 (つづく)

/15 [Mon]


(19:11)
こんげつは何かと出費が多いなあ…。(いや、自分のせいなのだが)

整理された脳味噌

コードレビュー、cohesion

/14 [Sun]


(10:52)
けさ見た夢の中では意味もなく人生がむなしくなり悲嘆にくれていた。 目が覚めるとその気分はなくなっていたが、はて、これは自分が本心では いまの生活に満足してないせいなんじゃないか? と、しばし考える。

人間、だいたいどんな瞬間でも100% 満足しているとはいえないんじゃないかと思う (しかしたいていの場合は自分が満足してるかどうかなんて考えることすら忘れていて、 それはそれでいいけど)。技術的に(?)言ってしまえば、“満足”とは 「状況が自分の期待値と同じか、もしくはそれ以上の状態」であるので、 実際には人間の幸福はすべてその期待値に依存している。幸せになるためには、 現状を改善するよりも「期待値を下げる」ほうがより有効であるのだが、 困ったことに人間の期待値というのは血圧と同じで、いちど上がったら なかなか下がらないらしい。新山は自分の期待値を下げる方法をひとつ知っているが、 それはあんまり他の人にはおすすめできないものだ…。その方法とは 「他人の話に耳を貸さない」ことである。日本のような社会では、個人の期待値は 個人が自分の基準で決めるのではなく、「他人との比較で決める」ことになっている。 なので、人並みであれば幸せ、そうでなければ不幸とされている。 このやり方だと、社会の半分ぐらいはつねに「不幸」ってことになる。 実際にはメディアが必要以上に煽るから、もっと多くの日本人が 「自分は不幸だ」と考えてると思う。新山はよく「日本人はテレビによって作られる」というが、 いまの日本全体を覆うこの薄暗さ、オドオドした感じは、テレビに結構な責任があると思う。 といっても、テレビはあくまでシステムの一部であり「テレビ的なもの」を 欲する社会が悪いのだけど、個人がこの悪循環を断ち切るひとつの簡単な方法は、 テレビのスイッチを消して、他人の「テレビ的な」話を一切聞かないことである。 でも、多くの人はそれができないらしいんだな、なぜか。

それにしても、日本人というのはつくづく“偏差値”が好きな人々なんだね…。

(14:41)
カミュ「異邦人」を読みおえた。今週は、なんだか知らんがフランス文学の週じゃない?
(18:53)
きょうは本屋で散財してしまった…。 本屋に入るまえに「きょうは絶対に本を買わないからな!」と決心して 入ったつもりだったが、負けた。"Physics" のコーナーに ファインマン先生の講義 (CD12枚組×全10巻) があってですね…。 新山が衝動買いしたのは 1巻だけだが、しかしこんなのは Amazon で買うべきである。 あーあ。

/13 [Sat]


(09:23)
きのうはまた半年ぶりに眼科へ行き、散瞳 (眼底検査のために目薬をさして瞳孔を開く) したため 「死んだ目」になって帰ってきた。新山は鏡を見てけっこう面白がっている。 散瞳誘発剤って、あれ筋弛緩剤の一種かね? ついでにカフンショの目薬ももらってきた。 新山は都合のよいことに、ちょうど1年で春と秋に花粉症がでるようになっている。 これも誰かのおかげだ!

gngn.

(16:12)
dd, awk, lessを使って PDFからテキスト抽出 (42分)

/12 [Fri]


(08:04)
ふと思うのだが、アメリカ人が陰謀論を好きなのは、 かれらが合衆国憲法の実現可能性を 100% 信じ切っていないからなんじゃないかと思う。

新山の知るかぎり、アメリカ人というのは日本人よりも「法の公正さ・社会の公正さ」を重視するタイプだ。 しかし、陰謀論を信じている人は、内心では公正さなんてものが存在していることを 信じちゃいない。なぜなら、陰謀論というのは「法の公正さが (自分たちの知らないところで) 破られている」という信念の表明だからである。 米国は日本よりもずっと「建前」が少ない社会ってことになってるから、 陰謀論はそういった世の中に対する心理的な「カウンター」として 機能しているように見え、とても興味ぶかい。いっぽう、 日本のような社会だと、そもそも最初からみんな「建前」で動いてるので、 目立った陰謀論というのは成立しにくい。 ある意味みんな「陰謀に片足つっこんでる」状態なわけだから。

…だからオレは何が言いたいかっつうと、結局 (ケッキョキ)、 米国でも日本でも、人々の心理ってのは似たようなものじゃん。おわり。

(20:31)
日本語の乱れについて怒る人々がいるが、そんなもんはどうでもいい。 それよりも新山は「英語の乱れ」のほうが気になる。これは英語ネイティブによるものだが、 どこぞの掲示板なぞを見ていると、"than" を "then" と綴るやつが多くて閉口する。 といっても、"you're" が "your" になっているよりはマシだけど。 おまえらまともな言葉遣いできないのか、ばか!

…いっぽう、日本人の書く「Janglish の乱れ」はムカつくというよりも、むしろ脱力もんだ。 たとえば関数名で "registerなんとか" を "registなんとか" と書くやつ。 「レジスト」だと? そんな単語、英語にはないし、日本語にだってないんだよ! アホめ。 ほかにも最近 "queue" を "que" と書いてある日本語の説明書を見たぞ、 スペイン語じゃあるまいし。 この手の現象がなぜ見苦しいかというと、それは基本的にこれが コンプレックスの塊だからである。英語が苦手なら、 素直にローマ字で "touroku" とか書いたほうがよっぽど好感がもてるよ。 こういうとこで心理的な“醜さ”の結果をわざわざ見せつけられるのは勘弁してほしい。 つうか、こういう連中はソフトウェアなんか書く前にまずカウンセリングに行け! と思う。…いや、これは考えの浅い発言だった。 これじゃキタカタ先生がよく「小僧! ソープへ行け!」とか言ってるのと同じだ (って、新山は実際には一度もキタカタ先生の回答を見たことはないんですが、 少なくとも伝聞によれば)。しかし人間がみんなそこまで「フロイト的」だったら、 世の中、苦労しないだろうね…。

/11 [Thu]


(19:03)
きょうは某大会に参加するために中野ZEROへ行った。 ロビーで展示会ブースをやっていて、いろいろと衝動買いする。 その中で、面白かったのが 「ろう者のトリセツ/聴者のトリセツ (関西手話カレッジ・編)」。 これはろう者と聴者の日本語の解釈の違いをそれぞれ並記して説明したもので、 日本語の文法というものにたいして新しい洞察を与えてくれる。 たとえば「9時 10分前です」という表現があった場合、聴者はふつうこれを 「9時10分前です」というふうに解釈するが、 聾者は「9時10分前です」というふうに解釈するというのである。 つまりこの場合の時刻は 9時7〜8分ごろになるというわけ。たしかに 手話的な感覚だと「9時 + 10分前」とやったら「9時は10分前」って解釈が ふつうだもんな。ほかにも「メシを食いに行く」という表現は 聾者にとっては「白米を食いに行く」という解釈であって ラーメンを食いに行くことではないとか (これも手話を考えれば自明)、 「3月まで」といえば「3月の終わりまで」という解釈であって 「3月が始まるまで」という意味ではないとか、そんなことが書かれている。 これは、おすすめだ…と思ったが、ブースではすぐに売りきれてしまっていた。

(追記 2/16) どうやらオレはトンだ勘違いをしてたらしい。 きょう、よく考えたら「9時10分前」というのは「9時10分前」というふうにも parse できることに気がついた。どうやらこっちのほうがそれっぽい。

(さらに追記) このときは客席の前のほうに盲聾の人がいて、講演ずっと 触手話で通訳をやっていた。(この場合、盲聾の人というのはずっと立っていて、 通訳するほうが座って下から手話をやるのでよく目立つのである。) このあと出し物でダンスをやったのだが、通訳者がダンスの動きや太鼓の音までも 手の動きとして通訳していたのには感動した。通訳ってすげえな。 あそこまでいくともう通訳っていうよりまさに「人間感覚器」だな。

/10 [Wed]


(00:29)
オレはいくら寝坊しても、さすがに社長から「起きろ」電話をもらったことはないぞ。

てくるで新山はときどき何の前触れもなく落ちこむことがあるのだが、 これを止めるすべはどうやらないように思える。 それはさしずめ人間が「眠くなる」ようなもんだ。 落ちこむときはつねに落ちこむのであって、 そういうときは無理に逆らわずに落ちこんでおくのがよい。

/08 [Mon]


(18:33)
今日「な〜んだ」と思ったこと。 新山はいつも自転車通勤'er であるんだが、きょうは帰りにチャリをとばしていたら、 耳のそばで風をきる音がやけに「ヒュゴォ〜」という感じなのに気がついた。 あれ、オレってそんなにマッハの原理で航行しているかな? と思ったら、頭の上を飛行機がゴオゴオと通っていた。

きょうは2時間ぶっとおしで喋る。新山が喋りつづけられるのは、 1日にせいぜい2時間までだということをあらためて知った。

(21:17)
intelligence is power but power is not intelligence

/07 [Sun]


(18:47)
実家から野沢菜漬が届いた。うっへっへ。

…ので、 きょうは学生時代、米国へ行く前までお世話になっていた大田区の某下宿へ 野沢菜を持って挨拶に行き、そのあとそれをはるかに上回る量の 野菜やら冷凍食品やら菓子やらをオミヤゲに持たされて帰ってくる。 しかし、あれから9年もたったとはね…。でも周囲の景色はあいかわらず おんなじで、今日は夕暮れ時の富士山もよく見えた (多摩川の向こうにね)。 その後、新山が毎日のように行っていた銭湯 (その下宿は風呂がなかったので) に入ったら、 そこも以前とちっとも変わってなくて、壁に貼ってある広告まで 10年前と同じだった。 でも、鵜の木にあったもういっこの銭湯は、駐車場になっていたけど。 帰りは蒲田経由。フロに入ったあとだったので京浜東北線ではナチュラルに熟睡した。 あやうく乗り過すところだった。

(20:25)
こないだ図書館からなんとなく出来心で借りてきた モオパッサン短篇集を読む。なかなかおもしろい。が、 フィクションな小説ではなんとお気軽に人が死んだり 人生の2〜3個が浪費されたりするものかと思う。 あ、それは実世界でも同じか。

/06 [Sat]


(09:28)
ニッポンの社長が好きな言葉 (うちの社長も好きである) : “全社一丸となって”

...

Listen, I don't give shit to your "unitedness" or any ideological crap. All I care is the quality of your products and the responsiveness to incidents like this.

もちろん、こうした事態に対応するには社員の間で合意があったほうがスムーズだろうし、 安全性や品質に対するなんらかの信念の共有はあったほうがよいと思われる。 しかし、それは社内のすべての人間が同じように考え、行動するという意味でない。 「全社一丸」とかいう響きになると、必要以上の強制がされているように見える。 そんな環境でマイノリティがまともに扱われるはずがない。 オレは自分以外の社内のすべての人が一致する意見があったら、 どんなにまともな結論でも反対するからな。

(追記) todo: 日本人が大企業に対して及び腰なのは、そういう理由じゃないか?

(14:27)
なんつうバカすごい今日は風だ! さっき床屋へ行ったら、ラジオで永六輔の番組をやっていて、 若山玄蔵が出ていた。この人、ぜ〜んぜん声かわってないのな。オドロキ。 永六輔のほうはあきらかにもうヨボヨボなのに (たしか10年ぐらい前はもっと違う声だったはず)、 若山玄蔵ときたら…うわーぉ。もう30年ぐらいこの声じゃないか?
(17:27)
新山が勝手に選ぶ、 なくなってほしくない長野県の村名:

これは実際の村へ行った印象によるものではなく、 あくまで語感・漢字感 (なにそれ?) のみによる選択だる。 しかし、実際のところ、売木村と喬木村以外は何らかの理由で 通過したことぐらいはあると思う。原村なんて一体何あんの? と 人は思うでしょうが、これが実に景色いいのですよ。 ああいうところに住むのは新山の生涯の夢である。 でも、おそらく行っても仕事がないだろうな。 それが一番の問題だ。

/05 [Fri]


(18:49)
新山はいつも「ゴハンのみ弁当持参」な人間であるのだが、 よく果物も会社に持っていくのだが、いつもはリンゴとかミカンだった (ときどき自転車の衝撃でボゴボゴになる)。きょうはイチゴを買ったので、 つぶれないように、弁当箱の中に入れていったのだが、昼食時に見てみたら ゴハンの上にイチゴ色がついていた。

…それで思ったんだけど、昨今の若い(バカい)人たちに 「ストロベリーライス」とかいう商品名をつけて売り出したら、 売れるんじゃないかな? あるいは「苺ごはん」でもいいよ。

どうでもいいけど (ddy)、新山はどういうわけか食い物の名前は 漢字ではなくカタカナで書きたいような気がする。 たとえば「ご飯」よりも「ゴハン」のほうがいいし、 「蜜柑」「苺」よりも「ミカン」「イチゴ」のほうがいい。 これは、なぜなんだろう? どうもカタカナで名前を書いたほうが、 キャラクター性が強まる (???) ような気のする。

/03 [Wed]


(19:43)
プログラミングに必要な能力ってなんだ? おそらくコーディングの能力などは たいして重要でない (それは必要ないという意味でいっているのではなく、 誰でもすぐ身につけられるという意味で) ので、 以下の 3つにしぼられるんではないかと考えている。その能力とは:
  1. 問題を発見する能力
  2. 問題を分析する能力
そして
  1. 問題を切り捨てる能力
である。

実は、これらは設計の時だけじゃなく、実装する時でも ほかの日常生活のすべての瞬間においてもつねに求められている。

(20:45)
そういえばきょう、会社でふと思ったこと:

「いまどき telnet なんか使ったら、かえって安全だったりして??」

…オレじゃない! オレじゃない! 悪魔がおれに吹きこんだんだ!

(20:49)
どうでもいいけど (どうでもよろ)、
いまさらのことだけど (どうべもよろ)、
昨日は  とーーーぜん自転車で会社へ行ったよ。
(21:14)
Please do not be cynical. I hate cynicism. ... Nobody in life gets exactly what they thought they were going to get. But if you work really hard and you are kind, amazing things will happen. I'm telling you, amazing things will happen. It's just true.

どうか皮肉な気分にならないでほしい。皮肉なのは嫌いだ。… 人生、思ったとおりにものが得られる人なんか、誰もいやしないんだ。 でも、もしきみが一生懸命やって、他人に親切であるなら、 驚くべきことが起こる。これは本当だよ、驚くべきことが起こるんだ。 ただもう本当にそうなんだ。

-- Conan O'Brien (2010/1/22, 最後の The Tonight Show のおわりに)

コナン・オブライエンはたいして好きじゃないが、 この回は見てしまった。どうやって視聴したのかは謎である。 (いや、youtube じゃないよ)

/02 [Tue]


(23:02)
前ページのつづき。

(じつは新山はこういう笑いが結構好きなのである。 大したことないと斜に構えていたら実は大したことあってビックリ! てのが… 現実の世の中ではその逆ばかり起こるので。)

…やっと2月になりやした。


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Yusuke Shinyama