AutoResetEvent.WaitOne();
AutoResetEvent.WaitOne(Int32);
AutoResetEvent.WaitOne(Int32, bool);
これらのサイトは、法律にはひっかからないのかもしれないが、あきらかな詐欺である。 以上のことから得られる教訓はつぎのようなことだ: もしあなたが、なんらかの権威や有名な名前 -- 人によってはこれは肩書きや学歴かもしれないし、 会社名、製品名やブランド名かもしれない -- を好きに利用できる 立場にあるのだとすれば、あなたはその名前を使って一儲けすることができる。
新山は他人がこうした金儲けの方法をしていることに対して、 とやかく文句を言える立場ではないが、自分自身はそうした“商売”からは なるべく離れていたいと思う。自分が金を稼ぐのはもっとハードなやり方で やらなければならないと思っているが、オレ自身、まだまだ甘やかされてるほうだよ。
Ada Lovelace Day is an international day of blogging to celebrate the achievements of women in technology and science.なんだ結局 (ケッキョキ)、ブログロに書くだけかい! (思えば久しぶりに「ブログロ」という言葉を使ったような気のする)
てくるで (ところで)、これからはすべての情報が blog になるとか、 CGM とか言ってた人々は、いまどうしているんだろうか。 まだやってんのかね? だろうな、おそらく彼らの中では、実際に 「blog はまだ十分すごい」という現実認識になッテルのかもしれない。 人間なんてそんなもんである。
(TODO : 続き、あとで書く)
そういう意味では、現在のほとんどの大学は「よい大学」ではないよね。
それにしても。
「PDFからテキスト抽出」のビデオの英語版を撮って、 聴きなおしてみたら、発音がまずいのに愕然とした。 日本語でもそうだけど、オレって滑舌悪いよな〜〜ほんと。
以前ここに「東大生が優秀なのは、かれらが『東大生は優秀だ』と思いこんでいるからだ」と書いたが、 同じように、盲人や聾者を「ショーーガイ者」と呼んでいると、彼らは本当に“障害者”になってしまうのである。 心理学ではこれはすでに有名な現象であるらしい。通称「ステレオタイプ効果」ってやつだ。 たとえば、Jane Elliottがおこなった実験:
これはなぜかというと、アメリカでは 「黒人は天然のスポーツマンだ」という信念が人々の中にあるからだそうな。 このような考え方は、いまの米国では直接言われることは めったにない。こういう考えは "racist" だとみなされるからである。 しかし、白人も黒人も、内心ではこういった人種的偏見を信じこんでしまっているのだ! それがテストに差が生じる理由である。
(ちなみに米語においては "racist" というのは、非常にネガティブな、 ほとんど人間失格に近い感じのニュアンスをもっている。 日本語でいう「差別的」に近いが、それより濫用されている。 じつは "racist" という言葉はすこし濫用されすぎていて、米国人は 人種と関係ない差別に対しても racist という言葉を使う。ようするに 気に入らない奴はみんな racist なのである。有名人が麻薬をやっていたことが バレても大した騒ぎにはならないが、かれらが一度 "racist" というレッテルを貼られたら、 そいつのタレント人生は終わりだ。)
もちろん、見えないとか、聞こえないことというのは、(新山には想像もできない) すさまじいハンデだろう。しかし、世間が子供を小さいうちから「障害者」と呼ぶことの罪はけっこう重い。 ちなみに「罪が重い」という日本語で思い出したが、「重度の障害」というのも これまたイヤ〜な、罰を受けているような含みのある言い方である。 なんでそんな悪いイメージを持たれなきゃなんないの。 「スゴい障害」とか「ケタ違いの障害」のほうがまだいいよ。 そういや英語では disability に対して "heavy" って言わないよな。
Everyone is a bit racist…しかし、これを見ると米国人は本当に「人種」ってのが存在すると思ってるようだ。 話が発散してきたから爆発ついでに書くと、実際には「人種」という概念は科学的には存在しない (人間という「種」はホモ・サピエンス一種類だけだ)。 肌の色の違いは遺伝的な差異とは必ずしも一致しない。いわゆる“人種”と人々がいっているものは、 「クライン」の 稚拙な近似だと考えられている。「ケイト、ひとつ聞いてもいいかい?」
「なに?」
「2階にトレッキー・モンスターがいるよね?」
「ええ」
「彼はトレッキー・モンスターだし、きみはケイト・モンスターだよね?」
「そうよ?」
「きみたちは親類かなにかかい?」
「なんですってぇ! プリンストン、あなたにはびっくりだわね。それってちょっと racist よ!」
「ごめんよ! ちょっと聞いてみただけだよ!」
「それはデリケートな話題なのよ! すべてのモンスターが親類なわけじゃないの。 それとも何が言いたいわけ、あたしたちみんな同じに見えるとでも? え? え?」
「あ、あわわ、いや、…ごめんよ、ぼくはちょっと racist だった」
「そうね、これからは気をつけてちょうだい」
「でも、そういう自分はどうなんだよ?」
「どういう意味?」
「あのモンスター特別学校の話だよ」
「それがどうしたの?」
「ぼくみたいな人間でも行けるわけ?」
「ダーメよ! あんたらとは違うもん」
「そらみろ!」
♪きみはちょっと racist
あなたもそうよね
ぼくらはみんなちょっとばかし racist
認めるのは容易なことじゃない
でもそれが真実
この2人の場合はね
♪誰でもちょっとばかし racist、ときどき
だからってそのへんで中傷 したりしない
周りを見回してみて 誰でも偏見なしはいない
みんなが知らなきゃいけない事実なのかも
誰もが人種で人を区別してる
「いやいや、そんなにすごい差別はしないよ、人を雇う時とか、そんなのじゃない」
「もちろん!」
「ちょっとしたことなんだ…たとえばあのメキシコ人の運転手、 ちゃんとした英語を覚えやがれ! と思ったりとかさ」
「そうね」
♪誰でもちょっとばかし racist、いまでも
だから誰でもちょっとばかし racist、オーケイ
人種ジョークはちょっと無粋 でもあまりに本当で笑っちゃう
だから中傷ととらないで みんな楽しんでるんだから
リラックス!
アメリカはやっぱり多民族国家だからこういう出身国による差別を気にするんだろうなあ。 これが日本だとみんな (遺伝的には) 似かよっているために、かわりに別のもの (出身地とか) で 差別している。一般的に、人間というものは、どんなに互いに似かよっていても、 かならず差別する材料を見つけだしてくるもんだと思う。この能力は、たいしたもんだ。 こういう状況を見ても、人間はつくづく差別がスキなんだと思う。差別するのも好きだし、 じつは差別されるのも好きなのだ。なぜなら誰でもみんなと同じ人間でありたいと 思うと同時に、みんなとは違う特別な人間でもありたいと願っているものだから。
ちなみに、tabesugi.net にアップロードした動画は 結局のところ Youtubeの新山ページにもアップロードしている。 どっちもすげー時間がかかるので、いまだにどっちがいいのか迷っている。 それとも、長さ制限のない動画アップロードサイトを使うべきなのか? youtubeを使っているのは、ただ単に他のサイトにアカウントを作るのがめんどくさいからだ。 しかしそもそも、本当にこれらの動画は面白いのか? オレが一人でよろこんでやっているという可能性は十分にある。 (そしてまあ、それはそれでいい)
てくるで、新山は一般にwebサイトにアカウントを作るのが、 ものすごく嫌いである。つうか、これが好きな人っていないと思うけど。 新山の場合はクッキーを毎回消してるし、password manager とかも使ってないから 余計に混乱するのかもしれない。 それでもyoutubeなんかはなくても困らないサイトだから別にいいのだが、 個人的に重要なサイトのアカウントだけでも、すでにこんなにある : (しかもこいつらはほとんどテキストブラウザでアクセスできない、UI的にも最悪なのが多い)
これに一発モノの通販会社とかチケット会社とかをあわせたら、 一体いくつになるのだか。そういえば eBay とか FedEx とかにもアカウントがあったはずだよな… (もうずっと使ってないので忘れている。)
これがどう面白いのかサッパリわからん新山。 もったいない論はおいておくとしても、趣味が悪すぎる。
前略 シー・シェパード様一同へ舟の名前を "Bob Barker" とかじゃなくて "Chinpokomon" みたいなのにしてください。 そうすると日本のマスコミが困るから。ちなみに英語圏の人々にとってはこの名前は 卑猥でもなんでもない。これはさしずめモンティ・パイソンの「致死的なジョーク」の話 (イギリス軍が兵器として使っているドイツ語のジョークで、 ドイツ語を理解する人間はこれを聞いて笑い死ぬのだが、 英国人が聞いてもなんともない) を思い出させるね。
それと最後に言っておきたいが、死にやがれ。
…正直な話、本当に捕鯨をやめさせたいんなら、 彼らの戦略はぜんぜん的をはずしてると思う。 もっとちゃんとした日本人広報をやとって真面目にやんなきゃダメだよ。 もっとも、彼らはどーせ金持ちの道楽としてやってるから、 どうでもいいんだろうけど。新山にとっても、ホゲーの賛否など、実にどうでもいい問題だる。
(追記) しかし考えてみると、捕鯨問題は日本人の心理的な矛盾を際立たせるのに 実にいい事例だと思う。誰でも自分が批判されるのは 好きじゃないけど、他人の批判は大好きである。もしここで 捕鯨してるのが日本人じゃなくて、たとえば中国人だったら、 日本は現在のオーストラリアのような「反捕鯨大好き国家」になっていただろう。 世界的に見ても、日本人はチクリや(こっそりとした)監視が大好きな民族なのだ。 しかも感情的な環境保護や動物保護も大好き。前に、タマちゃんだっけ? あのアザラシが発見されたときの報道ぶりを見れば、こいつらがどれだけ 頭がイカれてるかよくわかるだろう。これと今回の捕鯨問題に関する態度の差を見れば、 日本人の偽善というものが大変よくわかる。新山はべつに偽善がダメだ、とは言ってない。 偽善はどの人々にもあるもんだ。しかしいい歳したオトナが、 その矛盾を見て見ぬフリをしているのは、じつに情けない。
鬱暇利
どうでもいいけど (どうでもよろ)、けさ自分の捨てたプラスチック容器ごみが 朝出がけに見てみたら、回収されずに残っていた。なぜじゃーーー!! …と思ったが、 とりあえず時間がないので、そのまま放置して出かけた。で、 さっき会社から帰ってからあらためてゴミ収集所を確認したら、それは オレの出したやつじゃなかった。ふう、よかった。おわり
べつに一日中これをやっていたワケじゃないが、 こんなものに1時間以上も費やしてるオレは暇人だと思う。 じつに哀しい気持ちさね。
それにしても、これflvだけで100MB近くもあるけど (アップロードに20分ぐらいかかった)、tabesugi.netは大丈夫なんか。 やや心配になるぞ。
誰かが「死んだ」とか「離婚した」とか「裏金を受けとった」とかいうニュースばかりが 重要な人にとっては、こうした記事はぜんぜん面白みがないかもしれないが、 こうしたニュースは速報性はないものの、非常に重要だ。マスコミはこういうことをもっと伝えるべきだと思う。
これは新山個人の感想だが、 なぜこうしたニュースが重要かというと、それは「社会の“感覚器”に目を向けさせる」 からだ。例えば、うちらはふだんなにげなくニュースで「震度いくつ」とか聞いているわけだけど、 実はそれらの値は最後はこうした測定機器に依存している。そのことに、いまオレははじめて気がついた。 いままで「地震計にはキャリブレーションが必要」なんて考えたこともなかったよ。 そしてその測定器の正確さを保つために努力している人々がいるわけだ。 そういう人々の存在を気づかせたことで、この記事はおおいに意味がある。(新山にとっては)
基本的に、こうした一次データを測定する人々っていうのは、人間でいえば目とか耳とかの “感覚器”に相当するわけだ。 震度だけじゃなく、経済指標や人口動態や事件・事故その他、現代のマスコミで伝えられる すべてのこうした情報は最終的にはこれら感覚器に依存している。 OS でいえば、これらは入力装置に直結したデバイスドライバのようなものだ。 すでにご存じのとおり、これら低水準なモジュールには100%に近い信頼性が求められる。 これが狂ったら、それを利用している上の部分はすべておかしくなってしまうのだから。 だから大多数の人々は、これら感覚器の正確さをつねに重視しなければならないし、 その感覚器のもとで働いている人々に注目しなければならない、と思う。
しかし、世論調査ってありゃインチキだな。
これはある意味、一種の防御反応とみることができるだろう。 ちなみに新山は罪悪感をおぼえるとすぐ落ちこむタイプなので、 この手の防御力はとても低い。ただし、世の中には罪悪感を むりやり抱かせようとするインチキな奴もいるので注意が必要だ。 新山はそういう連中をとてもとてもキライですが、 たいていの場合はやつらのほうが社会的に強い。困ったもんだ。 以上
(追記) 精神的な効果としては、罪悪感というのは、恐怖によく似ている。
悪いことは重なるものでして…試験の結果が (もう!) 来たが、 見事に落ちていた。しかしその評価を見るにつけ、実にすがすがしいダメさ加減だったようで、 ある意味スッキリである。 これが当確ぎりぎりのところで不合格だったらヤーな気分だが。 にしても、あんまりショックではなかったけど、まったく、 この歳になってもこの季節に受験生の悲哀を味わわねばならんとわ…。 ぐずぐず
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Yusuke Shinyama