George Yoshitake、82歳。「ほとんどの知り合いは、ガンで死んだよ」
それに対するオレの返答はこうだ:
ハイ、ソウデス。
…ただし幸いなことに、新山がバカにしているのは人類のごく一部である。 そのぶんの尊敬は、他の人々にふりわけているつもり。
おや、雨だ。
よく知らんが、またもや google がアホな研究 (製品?) を発表したらしい。 で、それはいつものことなのでドーでもいいんだが、興味ぶかい問題は 「なぜこの会社はいつもこんなにワケのわからんインターフェイスばっかり作るのか?」ということである。 これについて、最近 google をやめた、ある視覚デザイナーの コメントが紹介されていて、これがおもしろい:
I had a recent debate over whether a border should be 3, 4 or 5 pixels wide, and was asked to prove my case. I can't operate in an environment like that. I've grown tired of debating such minuscule design decisions. There are more exciting design problems in this world to tackle.ぼくは枠線の幅を 3ピクセルにすべきか、4ピクセルか、5ピクセルかで 論争するはめになった。そして自分の主張を実証しろといわれた。 ぼくにはこのような環境で仕事をすることはできない。こんなささいなデザイン上の 決定でディベートするのはうんざりだ。この世界には、もっとエキサイティングな 取り組むべきデザイン上の課題があるのだから。 (強調は新山)
…なんつうか、ひでえ話だ。しかし実にありそうな話である。たとえば以前 Googleはページの枠線に使う青色を決めるのに、 41種類の微妙に異なる青色(!)をとっかえひっかえして ユーザテストをしたらしい。つまり、彼らの理屈はこうである: なにか新しい設計をするためには、 あらかじめすべての可能性を (機械的に) 用意しておき、 それを (テキトーな評価基準をつかって) 定量的なテストに落としこめばよい。 そうすれば、すべての設計はプログラミングによって 機械的に答えが出せるタスクとなる! …おそらく、これが彼らの考える 「合理的な」アプローチなのだろう。 いやー、いわゆる自称「専門家」ほど怖いもんはないよね。 おっと、ここではべつに某社の悪口をいうのが目的ではなかった。 ここでの教訓はなにかというと、それは 「テストは設計の代わりにはならない」ということなのである。 いくつもの候補を機械的に列挙して、それを比較検討したとしても、 それは何かを“設計”したことにはならない。 ソフトウェアテストができることは、せいぜい「人為的なミスを防ぐ」ことだけなのだ。 そしてその場合にも、テストという枠組みを使うことで 物事の見方を型にはめてしまう危険性が出てくる。
ソフトウェアテストの利点についてはすでに山のように解説されており、 そんなのは新山はもう聞きあきた。いま知りたいのは、 ソフトウェアテストの限界である。 そういう意味で、この記事はおもしろかった。 ちなみに、ここにはひとつ名言が出てくる。 これを個人的な Quote of the Day とすることにしよう:
The chief mandate of design thinking is empathy.デザイン的思考においてもっとも重要なのは、相手への共感である。 (強調は新山)
…前にもここに書いたことをふたたびくり返すが、エンジニアリングとは人間的な職業である。 エンジニアが最終的に相手にしているのは実は機械や計算機ではなく、人間なのだ。 そしてこのことをもっとちゃんと理解すべきエンジニアは、 世の中に沢山いるような気がする。でも彼らのほとんどは、 一生このことがわからないままエンジニアを終えるのかもしれない。 本来、いわゆる「理系」分野ほど、他人の気持ちがわかる人間が必要とされているのに…
おっと、それをいったらオレなんか全然適してネーな
(また「上から目線」な文章になてしまた)
(ついしん) ちなみに新山は google 以外でも、このような「合理的」アプローチを とりたがる人々が沢山いる分野を知っている。それは “ジネンゴンゴ処理” と呼ばれる分野だ。Geez, no wonder why those people ...
ついしん: 涼しくなったと思ったら、いきなり花粉症が爆発。まったくよ
セキュリティ戦争において、最前線に立たされるのは一般人である。-- Bruce Schneier
前からやろうと思っていたのだが、 HTMLを整形するのに非常に時間がかかった。
ところで (てくるで)、本来ならもう一人、この本の謝辞に加えるべき人物は 山形 浩生である。そもそも、それまでセキュリティには 大して関心もなかった新山が OpenSSH にかかわるきっかけは、 山形さんが OpenBSD 関連の翻訳を始めたからだった。 もっとも本人がいまだに OpenBSDを使っているかどうかは疑わしいけど。
でも考えてみれば、これは人間の特性というよりも、世の中の「悪いこと」の特性かもしれない。 なぜなら物事が悪くなるような変化は、物事が良くなる変化よりも潜在的な数が 圧倒的に多いのだから。
結論: 熱力学第二法則は偉大である。
/lib/udev/rules.d/
プログラミングの教育はタイピングの練習ではない!!
鮫洲の試験場に来るのはこれで3回目である。 1回目は免許証の発行のときに、2回目は国際免許証の申請のときに来た。 たしか前に来たときも暑い最中だったことを覚えている。いつも思うのだが、 品川のあのあたりは、なにやら道も建物もみんなデカくて東京らしくない。 おそらくは倉庫が多いのだろうけど、どの倉庫もみんな灰色の窓のない建物で 「月・島・倉・庫」などと書かれており、独特の雰囲気をかもし出している。
ところで、今回から例のICチップ入りの免許証になったのだけど、 あのICチップの暗証番号はあまりいいアイデアとは思えない。 絶対、ATMの番号と一緒にするやつ沢山いるぜ。しかも、暗証番号と言いながら 紙に印刷されて出てくるのだ!
どうでもいいけど (どうでもよろ)、今回の講習のときに、 「安全運転のしおり」等をひととおり読んでいたのだが、携帯電話に関する罰則が甘いと思った。 で、笑えるのは、警察もそう思っているのか、わざわざ冊子の中で 「コラム」と称して、携帯電話(による運転)のために息子を亡くした人の 手記が掲載されていた。こういうリスクを考えると実は携帯電話をもつことによる 利得は結構疑わしいと思う。たいていの人は自分はマルチタスクが可能だと 思ってるのだが、じつはほとんどの人はマルチタスク可能じゃない。 そして毎回コンテキスト・スイッチのためにすごいタイムロスが生じている。 にもかかわらず携帯を使って「自分は効率よく作業をしている」と思っているバカは 沢山いそうだ。
どうでもいいけど、外国人(とくに欧米人)にオミヤゲを贈るときの重要な1箇条がある。
なぜなら食い物はほとんど喜ばれないから。これを理解してない日本人があまりに多い。 むしろ新山がおすすめなのは、 東急ハンズか Loft へいって、海外ではまず売ってそうにないバカっぽい小物を買うことである。 安くあげたいなら、ダイソーーでもいい。 秋葉原や成田などの「日本風」のミヤゲ屋には、やたら気取ったものしか置いてないが、 とくに「日本 = アニメとウォシュレットとパンティ自販機の国」 というイメージをもっている海外の若者向けには、 もっとバカバカしいもののほうが喜ばれる。
それまですごい貧乏だった人が、貧乏なときは普通だったのに、 大金持ちになってから頭が狂ってしまう人がいる。同じように、 ぜんぜん有名じゃなかった人が、無名のころは普通だったのに、 有名になったら頭が狂ってしまう人がいる。ここでいう「狂ってしまう」というのは、 「常識的なセンス」を失ってしまうという意味だる。 どちらも共通してるのは、たいてい「変化が急激な人ほどやばい」という点である。 いっぽう、時間をかけて徐々に富や名声を築いてきた人はそれほどおかしくならない。
富や名声というのは、どっちも危険なドラッグだ。 急性中毒になると確実にそいつの人格を壊してしまう。 でもこれもドラッグと同じく、どの程度の摂取量で中毒になるかは人によりけりなんだよね。
ついしん: PDFTeXのバカ。
どうでもいいが、「授産施設」とか「授産所」という名称 にはいつも抵抗がある。 なんか、その語感から「妊娠に関するものでは?」という印象がつきまとうのだ。 これは、オレだけだろうか。
(コイツはとつぜん何を一体、怒っているんだ? と思ったあなたは正しい。そしておそらく間違っている)
Document ID: 1c6e00981de269217bbd4ff10bed3be3
Yusuke Shinyama