今日は午後半休をとって、またひさびすりに眼科で散瞳してきたのである。 で、とくに異常なし。視力も変わらず。まあこれはいい知らせだが、 それにしてもオレの網膜にはあいかわらず「穴ボコがあいている」らしい。 といっても通常の視界にはほとんど入らない場所らしいのだけど、 突然穴が大きくなったりすることもあるので 「半年に1回ぐらい検査しないと、ちょっと不安」とのことだった。 なるほどね。それとメガネがやや歪んでいるらしい。しかし問題はそのあとである。
きょうはもう仕事ができない (焦点が合わない) ので帰るしかないのだが、 真夏の午後4時あたりに自転車で新宿→中野に向かって走るところを想像してほしい。 じごく。 真西に向かうので、もろに太陽が目の前にあるのである。 死ぬほどアツいうえに、瞳孔が開いてるもんだから、マブシくてほとんど前を直視できない。 太陽どころか、道端のマンホールの照り返しや車のフロントガラスでさえ 明るすぎてまともに見られないのである。だからほとんどの行程を手で目隠しした状態 (目を細めるだけではぜんぜん効かない、マブタを通して光が入ってくる) で走ることになり、 非常にキケンだった。なんとか死なずに帰宅。そしたら親から 「2〜3日、涼しいところに行ってくるよ! ヒャッホー!」とかいうメールが来てる。こんなろ。
今月もまたあまり日記を書けなかった。 ちなみに、きょうはゴミの日じゃない。
こう考えるとオレはたぶん (積分すると) 1日3時間ぐらいしかマトモに働いてないような…気がする。
どうでもいいけどふと思い出したこと。この暑さについて。 人が苦しみに耐えることができるのは、それが「いつかは終わる」ことを 期待しているから、である。ところがこれが期待に反して永久に続くかもしれない場合、 人間というのはじつにもろい。たしかフランクルの『夜と霧』にも同じようなことが書いてあった。 収容所に入れられた人間というものは、そこでの生活が永久に続くかもしれないという おそろしい可能性と向き合わねばならない。ぜんぜん話はスケールが小さくなるが、 つうわけで、この暑さも「いつかは終わる」と思っているからまだ平気なんであって、 この暑さがたとえば一生続くとわかったらオレはたぶん自殺するだろう。 そういうこってす…。
…このおっさんは何だ、日本の Rush Limbaugh か? 新山にとっては、 こいつらの主張自体はどうでもいいのだが、 「まるまる肥えた身体 + 吊りズボン + 蝶ネクタイ」というのは、 いかにも作ったような米国の典型的右翼スタイルで笑える。これまでのネットで右翼な人々と違い、 メディアに積極的に露出するというのは戦略としてはカシコイのかもしれないが、 日本は米国に比べるとはるかに右翼論調メディアの人気がないので、 一発ネタで終わるような気もする。どうなのか。
まえにもちょっと書いたが、アメリカの右翼はみんな実に絵に描いたような ステレオタイプな悪役ヅラをしているので、じつに見ていて楽しい (笑える)。 やっぱり、やつらは演出がうまいと思う。新山にとっての典型的なイメージはだいたい次のようなかんじだ:
レーガンとかブッシュとかは、ここには入ってない。 連中はバカっぽくはあるが、悪役っぽくないのだ。 O'Reilly も悪役というよりはむしろ、 時代についていけなくなったガンコ親父のようなかんじで、哀愁さえ漂っている (だから中年層にウケるのかもしれない)。 Glenn “泣きの” Beck の顔は あまりインパクトないと思うのだが、彼がなぜあんなに人気なのかわからない。 新山が個人的に好きなのは Pat Buchanan である。 これまた哀愁を感じさせる典型的な憂国親父で (ようするにオレは誰彼かまわず哀愁の漂ってるヤツが好きなのだ…)、 そのへんの居酒屋でグチってそう。こういうオヤジって、どこか憎めないなあ。
話は戻るが、右翼にせよ左翼にせよ、メディアをターゲットにするっていう戦略は カシコイと思う (新山が“好き”というわけでは全然ないけど)。 なぜなら、現在における政治ってのは、結局のところ (ケッキョキ) 99% がメディア戦争だと思うからだ。人は政治家を“政治”によって判断するのじゃなく、 テレビに映った“演出”の部分で判断してるのである。現代人は、 ゲッベルスの先駆的な“業績”を 決してナメてはいけない。こいつの発明した兵器は、 ある意味、原爆なぞよりもはるかに強力だろうよ。 そして、インターネットのこの時代に、 これがまたさらなる進化を遂げることはほぼ確実だる。 ああ、こういうこと書いたらなんか落ちこんできた。
なにがって、この暑さがだよ! フザケとる!!
もうじき9月だというのに、この暑さはなんだ!!
けしか
らん!! オレは認めないぞ、このような状態は…
なぜ、だれも声をあげないだ。オレはなー、おかしいことは
断じてオカシイと言うぞ。オレは認めないからな、この暑さを!!! つまり、
結論は、つまり定義上、いまは暑くないとゆうことに決定!
もうそう決めた。つまり定義上そうなるのだから、当然のこと意味論的にはそれ以外の選択はありえない。
のである!!!1 つまりそうゆううことだ。ヒトを馬鹿にするのもいいかげんにしろ。
ungea
(注:ソースをみてはいけません, OR DIE)
それにしてもフォンタオの多きさで暑さ(あるいはフンヌの度合い)をあらわすという方法はだれが法制化したのだろう。 </blockquote>
そういえば昨日ふと思ったんだけど、よく 人間が「ものを口に入れる」間隔は最低でも3時間以上空けなければならない、 といわれる。新山の場合は見事に3時間おきにものを食っていることに気がついた:
使用例: きょうの仕事はえらくジムジムしくて、ぜんぜんコードが書けていない。
…「どうも、ドラッグでーす」「ドロップでーす」
…「どうも、スラッグでーす」「スロップでーす」
(きょうは朝からわりと爆発してるなあ… たぶんこのホースラディッシュを食ったせいだろう)
ふうさる
使用例: あのボランティア団体の人々は、えらくギムギムしい。
どうでもいいけど (ddy)、 きのうはじめて会った (と思っていた) 附属のウチダ先生が、 じつは東工大時代に新山と同期であったことが判明。 1998年ごろ、ヨネザキ先生の授業に出ていた新山は 「前のほうに全盲の学生がいるなあ」と思っていたのだが、 その彼が実はウチダさんだったのである。世の中せまいものよ。
…ところで (てくるで) 「だいじょぶ」の反対語は「だいじょばない」だよな、 と思う今日コノゴロ。あるいはコノロゴ。
incidentally...
ちなみに、じつは skkinput2 の cdb対応パッチも作ってある。 cdbはとにかく単純なので、なーーんも考えなくても実装できてしまう。 lookupだけなら、たいていの言語で (デバッグを含めても) 1時間ぐらいで書けると思う。 まあ Emacs Lisp の場合は慣れてないうえに、言語自身の機能が低くて大変だったケド…。
もっとも、おりゃ“東京人”なんかじゃないが。
消えゆく日本の棚田。 こういうニュースをみると罪悪感をおぼえる。とはいえ、自分も農業をやろうという気には ぜんぜんならないのだけど…。
…考えてみると、これらの強制労働をやらせる人々 (あるいは、夏の朝から元気な人々) ってのは 「夏 == 楽しい季節」という思い込みがあるんじゃないかと思う。 そして新山はそういう趣味の一方的な押しつけが大キライなのだ。 新山にとって、夏は不快で不潔な季節である。オレは寒いのが好きなんだよ。 夏休みなんかいらないから、冬休みを長くしろ! そもそも暑いのが好きじゃない 人間にとって「これから一日が暑くなる」という時間は、 それだけで落ちこんでくるのである。明るくなんかふるまっていられるかい! 「夏が好きだ」とかいう連中は、地球温暖化を悪化させる人類の敵だと思う。 こういう連中は、ロシアとか中国とかパキスタンに行って洪水の救援活動でもすればいい。 これからの時代、夏はますます暗いニュースが増える世界になるだろうから。
寝よう。
-- サラ・ペイリンについてどう思いますか?クリーズ : アッハハハ。これまで地球上で一番面白いペイリンといえば、 マイケル・ペイリンだと思っていたよ。...
Gooooood... Niiiiiiight..... ding ding ding ding dingding ....
新山の風邪にはかならず決まったステージがある。
まだカゼがあまりよくないので、いつも風邪っぽいとき行ってた医者にいったら、 そこはもう店じまいしていた。看板がとり外されて、入口には鍵がかかっている。 あのジイちゃんはまだ元気かいな。しょうがないので、電柱の 「○○医院 300m先 →」とかいう看板をたよりに別の医院をさがしたが、 行けども行けども見つかんねえ。おかげで今朝は会社にかなりおくれた。
つうことで、ヨドバシ行ってeneloop買ってきた。
ところで途中で新宿のKFCに入ったら、チキンがやたら小さい。 オイオイこりゃないだろう、っていうくらいの小ささなのである。 米国ではこれの倍くらいあるよ。しかしそのときふとある理論を思いついた。 “もしかしてKFCは、店によって (地価によるコスト増加を埋め合わせるために) チキンの大きさを変えているんではないか?”
.mp4
をコピーしてくるだけである。これまた、アホみたいに簡単。
そしたら…
…充電しない。
Flipのいいところは、乾電池(単3)を使えることである。しかし、 充電もできる専用電池が付属してくるのだが、マニュアルには 「USBに接続しておけば勝手に充電する」って書いてあるのに、 (実際、充電中の表示が出るのに、) 何時間たってもちっともバッテリー残量が上がらん。 いろいろ調べてみたら、じつはFlip Ultraのこの問題は有名らしい。 書かれているトリックをあれこれ試してみたがどれもだめ。 くっそーーー。しょうがないからあした充電池を買ってくるか。 もともと、これは計画していたことではあったのだが、 それにしても買ってきた製品が最初から微妙にブっこわれてるというのは なんとも気落ちするもんだ。
核兵器廃絶については、正直なところ、わりとどうでもいい… い、いやいや、もちろん世界平和・核兵器廃絶ですよ! それと人種差別撤廃! 二酸化炭素削減! 原発反対! 遺伝子組みかえ反対! ついでに阪神優勝! …なんでここでいきなり阪神が出てくるのかというと、田中先生が 亡くなってからもう1年たつということをきょうふと思い出したからである。 田中先生は、(なぜか) 阪神ファンであった。たしか2002年あたりに阪神が優勝したとき、 帰国してタナカ先生に「よかったですね」といったことを覚えている。 しかし、あいかわらずくだらないことを覚えているなあ、オレは。
…まあそれはいいとして。核兵器廃絶に戻るが、やっぱり 「どうでもいい」の一言につきる。実はね、新山もむかし若い (高校生ぐらいの) ころは、核兵器は廃絶すべきだと熱心に思ってましたよ。 いま考えると、あのころは「怒るのがスキ」だったんだよね… というのも、怒りの対象が他にたいしてなかった。少なくとも、目立ちやすいのはなかった。 若い人間というのは、まだ世の中の本当の悪というものを知らない。 差別とか核兵器とか二酸化炭素とかは、親や教師や友達よりも叩きやすいからな。 ちなみに、いまでも新山はよく怒っているのだが、その対象はずっと漠然としてきている。 なぜなら、真の敵はもっとずっとわかりにくい存在であり、 「自分たちの中 (あるいは自分自身の中) にいる」ということがわかってきたからだ…。
憲法9条についても、むかしはイイと思っていたが、今となっては かなりどうでもいい。世界的に見れば、あいかわらず日本は米国の足元のまわりを チョロチョロ走り回っているネズミのような国にしか見えない (←こういう物言いは本当にキライなのだが、米国にいたころの新山の率直な感想なんだからしょうがない)。 その日本がたとえ憲法9条をいっしょうけんめい守ったところで、世界平和にはすこしも貢献しないのだ。 非核三原則も同様。日本がキタナイものにさわりたがらなければ、他のだれかがさわるだけ。 いまになってみると、この手の法律は「ただ罪悪感を感じないための道具」 ぐらいの意味合いしかないと思う。ま、ほんとに、どっちでもいいけどね…。
誤解しないでほしいが、ホントに新山は戦争なんて好きじゃないのだ。 しかし「戦争するべからず」という物言いは、物事の連鎖のホントの 最後の最後で煙が出てからフタをしているにすぎない。それは、すでにたらふくものを食わせておいてから 「ウンコするな」といっているのと同じだ。真の問題はもっとずっと前の段階ですでに 起きているのである。この世界は、まだ1丁の銃が生産されるよりも前から、 戦争への火種が着々と準備されているような、そんな世界なのだ。そして新山個人は なるべく「食わ」ないようにしているが、人類がそもそも「食う」ことを完全にやめることができるのかどうか、 新山には自信がない。世の中の人々において、言ってることとやってること (の帰結) が違う、 というケースを多々みると、実は無意識のところで人類は滅びたがっているんではないか、 と思えることがある。
これは誰が言ったか忘れたが、一個の個体を超えて、社会や文化、種族にも (多かれ少なかれ) 「寿命」というものが存在するという考え方がある。それを言いだしたら、 実は (宇宙自身もふくめ) すべてのシステムには寿命があるのかもしれない。 人類が、未来永劫ズーっと繁栄するなどということは、ありえないと思う。 人類はおそらくある時点で、ちょうどヒトが死ぬのと同じように、 ゆっくりと死ぬのだろう。もっともそれが3日後になるとは誰も思っちゃいないけど、 個人と同じく、種族も「いつ死ぬか」を自分たちで決めることはおそらくできない。 せいぜい人類がかろうじて選べるのは (これまた個人と同じように) 「どのように死ぬか」だけなのだ。 そして自分としては、人類の“よりよい滅び方”に貢献したいよなあ、と思うわけです…。 くりかえすが、それはまだ3日後とか、3年後とか、300000000年後とかじゃないぞよ。
ソフトワー (ソフトウェア) 設計において重要なこと。 それは分離である。とにもかくにも分離である。 1、2がなくても5 に分離である。とにかく分離は重要なのだ。 ちなみにこれはソフトワー設計にとどまらない。 およそ人間のやる頭脳労働っぽいもの (実は肉体労働も頭脳労働に含まれる) には すべて、この“分離”が重要だ。手がつけられないほど巨大なもの、 複雑なものを小さくかみ砕くこと、それだけがこのこの短命でかよわく、 しかも混乱しやすいバカな人間ども残された唯一の武器である。 ほんとうにね。
``How to eat an elephant?''
``One bite a time.''
$ ffmpeg -i in.mp4 out.mp3
「で」が一発多いって?
``quack''
な、暑さは?? 理解不能だる。
Document ID: cd96af692941309fbb3c9f2d4259d8c6
Yusuke Shinyama