この世は感想文じゃない。
Y combinator の謎 (14分)
ちなみに1080というのは、宇宙全体にある陽子の個数であります。
組み込みシステムに要求されるコード量:
“1台の自動車に要求されるソフトウェアの量は、2010年までに平均1億行になるだろう。 ソフトウェアは現在、自動車の開発で一番費用のかかる部品である。”-- Tony Scott, CTO, GM Information Systems & Services (2004)
「…メルセデスの Sクラス自動車には、現在 Airbus A380 に搭載されているのとほぼ同数の 100個近い電子制御ユニットが搭載されており、全部で2000万行程度のコードが走っている。 安いモデルでも、その半分ぐらい。…」
「…近い将来、ソフトウェアの量は 2億〜3億行に達するだろう。…」
「…現在、電子回路とソフトウェアの開発費だけで自動車の開発コストの 35〜40% を占めている。…」
「…現在の自動車の保証コストのうち約半分は電子回路とそのソフトウェアに関連するものである。…」
「…これらのソフトウェアのうち約1/3は診断に関するものだが、データ量が多すぎて普通の修理工には分析できない。…」
「…将来的には、自動車の修理と診断はネットワーク経由でおこなわれ、ソフトウェアの更新が主になるだろう。…」
出典:
…おまえら死ね、いいから死ね。
「これ、もっと値段下げたらすごく売れるんじゃない?」
…一般論は聞きあきた。こっちだってもっと安くしたいんだよ!
「こって高齢者にも売れるんじゃないの?」
…アーそれはみんな考えてんだよ、あんただけじゃないよ。
「このアイデアは他にも応用できるよな? たとえば…」
…わかったわかった、そんなの凡人っぽい思いつきじゃなくて、
もっと奇抜なことをいってくれ!
新山もこういう傾向があるので人のこた言えないけど、 こういう人々ばっかり相手にしていると、 「ウガーーーーーっ」という気分になるよね。
というように、新山にとって "i" → "e" の変化は 何か田舎を思い出させるものがある。以上
てくるで、電車の中でよくみかける大学の広告について。 日本の私立大学の広告は、だいたい「自由な校風」とか 「由緒ある伝統」とか「すてきなキャンパス」ばかり宣伝しているが、 肝心の「具体的に何をどう学べるのか」については まったく書かれていないことが多い。 これを見て、やはり米国とは違うなあ、とつくづく思うのである。 NYの地下鉄にもよく大学の広告とか貼ってあるけれど、 とにかく向こうは実際の生徒が出てきて、言っていることも具体的だ:
小学生を相手にした商売なら話は別だが、高校生以上の年齢の客に対して、 具体的なメリットを説明せずに何十万という授業料を取るのは、 はっきりって詐欺商法の一種にしか見えない (説明が難しいのはよくわかっている -- ここでの問題は、その努力すら見られないということなのである)。
きょうは生まれて初めて「経営セミナー」なるもの (といえば言えるようなもの) に 参加してきたのである。べつに新山は重役でもなんでもないのだが、 「出てみる?」と言われ、あのアヤしげな雰囲気と人々に興味をそそられたのは否定しようがない。 (ご存じのとおり、新山はアヤしげな人・モノに惹かれる危険な傾向がある。) で、その感想だけど、やっぱりああいうところにカネをはらって 参加するのは、(たとえそれが会社の金であれ) 無駄だと思った。 その内容は、べつにたいしたインパクトがあるわけでもなく、 もっぱら (新山にとっては) 一般論にすぎないことである:
それにしても、やはり会社の社長という (ある意味) キチガイ的な人々を 抑えこむために、話がかなり誇張されていたような気がする。 いたるところで「米国のやり方を見習え」って論調になってて笑えた。 たしかに資本主義の原則にのっとれば、米国はお手本なんかもしれないが、 新山は米国型にバリバリ合理化された、爽やかに社員のクビを切る経営者よりは、 バカで頑固で混乱してる“ニッポンの社長”のほうが好きである。 なぜなら、これは根本的に科学の問題じゃなく、趣味の問題だから。 結局のところ (ケッキョキ)、人生における選択は最終的にはほとんど 趣味の問題に帰着する。(だが、このことをわかってない米国人は意外に多い。)
思うに、こういうセミナーが対象としている日本型の社長ってのは、 体育会タイプが多いのだろう。だから「合理的にやれ」って話になるんだろうけど、 いつの時代も「体育会系 (=根性) が好き」ってのは、日本人の文化的な趣向だと思う。 太平洋戦争から60年たっても日本人のこの傾向はまだ変わってないのだから、 これからもずっと変わらないんだろうな。もしこれが体育会以外の 「思考型」タイプを対象としていたら、内容はかなりちがっていただろうと思われる。
たとえば某no-evil社なぞがやっていることを見ると、個々の「evilness」はほとんど測定不能なほど小さい。 しかし、これを信じられないほど大規模に、かつ何年も継続してやったらどうなるか? …今までにこれほど大規模かつ並列的かつ継続した個人情報収集というのは歴史上 やられたことがなかった (たとえ個々の情報がどれほど瑣末なものだとしても)。 レッシグがかつて言っていたように、これまでの犯罪とコンピュータを使った犯罪との 一番の違いは、かつては不可能だった操作の大量な自動化と集約化によって、 一見ささいなことでも深刻な被害をもたらしうるということである (heck, 計算機の本質を言いあてている引用が、よりによって計算機科学者ではなくて レッシグのものだとは!) 人類はおそらくこれほどのスケールでやられた実験の結末というものを、 直感的には想像できないと思う。そしてその影響が人間にわかるほど大きくなったときは おそらくすでに相当被害が出たあとなのである。
(追記) 個人的には、webは今よりももっともっと宣言的になるべきだと思う。 そうすればデータフローを制御するのがより確実になるから。 そもそも、たかがデータを読むだけなのに、なんで手続きを実行せにゃ ならんのよ? データとプログラムを混ぜるな! …しかし、だからといって新山が HTML5 などの、 HTML4よりもさらに3倍もデカイ、 おまけにすでに SGML 標準ですらなくなった仕様が好きなわけではぜんぜんない (そもそも HTML5 はちっとも宣言的じゃない)。 そういえば一時はやった XHTML ってどうなったん? まだあるらしいけど、 これの普及してなさ具合がすでに何事かを物語っている。 ma-, せいぜいがんばってくれ。
こういう雨の日は好きである。 こんな日は、家でじっとソースコードを読むに限るね。
Also watch...
こいつらは、あまりにデカイので(計1Gbytes以上) tabesugi.net に置くわけにいかず、 数時間かけてyoutubeにアップロードした。ふう
これである:
ソースコードに書くコメントは、自分の遺言だと思え。-- euske
むかし、日本語には「提灯持ち」って言葉があったのである。 でもいまじゃ提灯なんてだれも知らないし、見たこともない。 ついでに昔の人は家に電話を置いていたらしいよ。 で、電話とラジオがつながってて、幽霊を受信すると電波の世界へ行けたんだそうな。 その手の技術は今は幻の大陸とともに水没してしまった。 あと、メンチカツも。
ついでに、牛乳でできた香水はアタマを軽くする。 だから性格が歪むこともなく、ティッシュを洗濯することもない。 幽玄なる雲が湧き出たあとにシーツを消毒 (ガラパゴスゾウガメで)。 涅槃とは、地図がなくても遭難する人のことであるよ、またはその場所だよ。 そうだかもしれねい、もう日本語変。ungarktel-fzpÿ;
まろやか運転
人生とは歯医者にかかっているようなものだ。
これから本格的になると思っているあいだに終わってしまう。
-- Otto von Bismarck
そんな韓国があみだした新種の集団“生前葬”セミナー。 どう考えてもあやしいが、こんなんで自殺防止になるんかね? それにしてもメディアはあいかわらず kettieな (ケッタイな) ものぶくり発見してくる。
わざ (ろ)。
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Yusuke Shinyama