2011年1月

Last Modified: Tue Feb 1 11:54:15 UTC 2011

「いま」という時間は、いま失われた。すでに失われている。

/01 [Tue]

@20:18

きのう、某社の『果汁グミ』をみかけて、ブルーベリー味だ! と思って買ったら グレープ味だった。しかも実にマズい。金かえせ! ふつう この写真を見たら、 誰だってブルーベリーだと思う。おまけに新山はこの「グレープ風味」とやらが大キライである。 香料や香水に囲まれている現代人にはわからないのかもしれないが、このニオイは 新山にとっては鼻が曲がりそうな刺激臭だ。オバちゃんの香水と同じくらいひどい。

/31 [Mon]

@08:30

ポインティングアウト = ポインティンガウト

@22:28

なに-無期限延期だと〜〜!? ふう、まだホテルとんなくてよかった。

/30 [Sun]

@14:56

もー、さいきんまったく日記を書いてねえ。 つうことで、今日はたまっていたメモ書きをもとに 26日と28日の分を書いた。 しかし、もうひとつ書きたいことがあったんだ。

それは ipv6 の話である。最近のLWNで ipv6 についての記事があったが、 ヒジョーに盛り上がっております。 思うに、いまのネットワーク業界の人々はじつに気の毒だ。 いまさら ipv6 なんかもう誰もやりたくないので「お先にどうぞ!」 「いや、そちらこそお先に!」という雰囲気。問題は、いざ「コト」が起きたときに、 責任をとらされるのは誰かってことだ。誰もその瞬間にそんな地位にはいたくないので、 もはや完全に「イスとりゲーム」のような状況になっている。外部から見ていると 笑えるからいいけど、当事者はイヤだろうな。おまけに「ネット中立法案」ができたら、 彼らの行動はいまや法律によって監視されるようになる。まあ、彼らがその責任に 見合うだけの高給をもらっているのなら仕方ないけどね (新山はそうした事情について何も知らない)。

以前 (もう8年も前だ) djb が ipv6 について何か言っていたときに、それをぱくって 「覚悟はできてますか? トンでもなく高価なipv6」という文章を書いたことがある。 で、このとき新山はまだ学生だったので、そして経済の原則とでもいうものについて 今より無知だったので、正直なところ djb のいう「ダメさ」について あまり直感的に理解できてなかった。しかし「お客様」を相手にするようになった今では、 ipv6 のダメさがより一層よくわかる。うまくいくワケがない。 …この「覚悟はできてますか?」という題名は、あきらかに rhetorical question である。 つまり実際には「覚悟できてないだろう」という意味なのだ。 これに対していろいろ難癖つける人がいるだろうことは想像していたのだが、 あれから何年かたって、いまだにお粗末な日本のipv6対応状況をみるにつけ、 やっぱり (ケッキョキ) みんな覚悟できていなかったんだな、と思う。 なぜって、ipv6 を「覚悟する」ためには、「いま必要なものをなるべく安く買う」という 常識を捨てなければならないからである。「ぜんぜん必要ないのに面倒くさい (=高い) 製品をわざわざガマンして使う」ということをしなければならないのだ。 新山はケチに生まれついているので、とてもそんなことはできない。 オレはつねに必要なものだけをなるべく安く買いたい。 そしてどうやら新山以外の多くの日本人も同じ考えのようである (100円ショップのあの隆盛を見よ)。これじゃ ipv6 が普及するわけがない。 ちなみに、新山がときどき行く食堂に置いてあるテレビには、 どの店でもまだ「アナログ」の文字が出ているが、お上が実力行使で押しつけている地デジですら こうなんだぜ? インフラレベルではすでにv6化されている、という人がいるが、 そこが問題ではない。地デジだってインフラはとうに整備されているのだ。 いつもいちばん世話がやけるのはエンドユーザである。 (しかし、最終的におサイフのヒモを握っているのは彼らだということを忘れてはならじ。) そして消費者にこういう金を使わせる提案をしておいて、一方では『“MOTTAINAI”は日本の美徳です』などと 涼しい顔で言ってのける連中がいる。もしこれらが同一人物だとしたら、 やつらの頭がなぜ炉心溶融しないのか、オレには不思議でしょうがない。

ちなみに、LWNでは、ipv6 に匹敵するダメなものの代表例として Itanium を例に出している人がいた。そういやそんなのありましたね…覚えてる人いる? これまた「あきらかに性能が上ならば、たとえ互換性がなくてもみんな採用するにちがいない」 という (現実が見えていない) 妄想にもとづく失敗作であった。結局、だれも Itanium なんか使わず、64bitアーキテクチャといえば事実上 AMD 64 になった。 これは当初からそう言われていたのだが、Intelの中にもガンコな人々がいたんだろう。 不幸なことは、IPv6 には AMD 64相当の代替案が存在しないことだ。

後知恵ではあるが、いまになって日本の ipv6 騒ぎをふりかえると、 以下のようなことが言える:

…あれま。なんかこれって、ぜんぜん ipv6 に限った話じゃないな。 つまり、今後も日本において似たようなことはおそらく何度か起こるであろう。 そのたびに同じことをここに書くのは気がひけるので今回だけにしておくぞよ。

@17:04

ditto! ditto!

/30 [Sun]

@00:00

どうでもいいけろ (どうでもよろ)、 wikipedia に https でアクセスするとアイコンが黒地になるって知ってた? これはクールだな (アイコンが)。こっちを使うことにしよう。

/28 [Fri]

@00:19

また今日も日記を書けなかった。 (いまこの段落を書きかけているが、ネムいので書きたいことが書けないうちに沈没する予定)

(追記 1/30) 自転車で走っていてOSの resource utilization について考える。 朝、高田馬場付近の新目白通りを自転車で走っていると、 ときどき西向きの自動車がぜんぜん道に存在しない瞬間があることに気づく。 たとえば高田馬場付近では、新目白通りと明治通りが交差しているのだが、 あるタイミングで信号が一斉に赤になって、すべての車が明治通りの向こう側でブロックされるのだ。 新山はいつも新目白通りを東向き (=上り方面) に走っているので、そういうときは ここぞとばかりにチャリで車道のド真ん中を逆走しているのだが、 あるとき「これは資源の無駄だよなあ」と気がついた。 道路とは、ちょうどメモリやネットワークと同じように「使ってなんぼ」の世界である。 つまり、もっとも道路が有効活用されている状態というのは、 つねに最大量のトラフィックが流れている状態なわけだ。 もちろん渋滞したらダメだが、逆にまったく使われていないのもよくない。 これは OS における "resource utilization が低い状態" であると考えられる。 OS が正しく管理していれば、どの道路もつねに一定量の交通があるのが理想だ。 しかし、道路における "OS" って何だ…? それは信号機である。 つまり道路が必要以上に混雑している、あるいは必要以上に空いている場合は、 信号機の制御がうまくいっていないんではないかと考えられる…。 しかし道路の交通量は信号機だけで制御できるわけではない。 時間帯によっても違うし、上りと下りでは非対称性がある。 たとえば朝の新目白通りの場合は、都心に向かう車線の交通量のほうが圧倒的に多い。 おまけに、ほかの (交差する) 道路との兼ね合いも考えなければならない。 一方の信号だけをずっと青にするということはできない。交差点は「排他的な資源」なのだ。 陸橋を作れば信号を使わずにふたつの道路を有効活用できるが、これは高くつく。 で、明治通りにはこれまた明治通りの事情がある…。

こういうふうに考えていくと、都市の交通制御というのは じつはものすごく複雑な問題だということに気がついた。 信号のタイミング制御は、いったい誰が決めているんだろう? もちろん最終的には警察が決めているのだろうが、 それは誰かの職人的な経験とカンによるものなのか、あるいは 国交省かどっかの研究機関が緻密な計算をしているのか? よく交通量調査を やっているのを見かけるが、ああいうのはだいたい自治体の人々である。 いったいこれらの協力関係はどうなっているのだろう。 まあいいや、とにかく、道路を走っていても OS について考えるのことよ。

/26 [Wed]

@19:27

「コーディング行きすぎ病」

新山が道に迷ったときのようなもんである。

「おかしいぞ」と感じたときに、立ち止まって、よく考えてみることが必要だ。

(追記 1/30) 新山は方向音痴である、って知ってた? このあいだも、自転車で某所から自宅に戻るつもりが、 『方南通り』が南北に走っているものと(勝手に)カン違いして、 気がついたら高井戸付近まで来ていた。 しょうがなく交番でヒマそうにしていたおまわりさんに道を尋き (こういうヒマそうにしている公務員はとても懇切丁寧である)、泣きながら戻ってきた。 まったくアホであるが、新山の方向音痴は自転車に乗っているといっそう被害が大きい。 というのは、新山は道を走っていて「なんかヘンだな」と思っても、 「もう少し行ってみりゃ何かヒントがあるだろう」と思って そのままつき進んでしまうことが多いので、どんどん間違った方向へと行ってしまうからである。 こういうとき、(あとになって) 一瞬立ち止まって落ちついて考えるようにしなければいけないと 思うのだが、なかなかそれができない。よくない癖だ。

…で、最近、プログラミングにも同じことが言えることに気がついた。 新山は、コードを書いていて「なんかヘンだな」と思ったときは、 わりと立ち止まって設計が正しいかどうか、自分の理解に混乱がないかどうかを チェックするようにしている。プログラミングの場合は新山は自転車より自制できている。 しかし、会社のある同僚を見ていると、これができないようで 「なんかヘンだな」と思っても、そのままどんどんコーディングしてしまうらしい。 するとどうなるかっていうと、途中でつじつまが合わなくなった部分をどんどん アドホックに付け足していくので、出来上がったプログラムはひどくわかりにくく、 あとで作った当人に問い合わせても本人も何がなんだかよくわかんない -- ということがありうる。

こういう癖は非常に危険だ。プログラミングをしていて 「何かがおかしい」と感じたときは、すぐに立ち止まって自分の進むべき方向を 確認しなおさなければいけない。しかし (ちょうど新山の自転車と同じように) これが心理的になかなかできないという人は多いようだ。 つまり、「ソフトウェアの品質」という問題は、ある部分では性格の問題に帰着されるのである。

/26 [Wed]

@00:17

引数のインデント:

some_function(a,
              b,
              c)
some_function(
  a,
  b,
  c)
は、どっちがいいんだろ? 悩むなあ。

/24 [Mon]

@23:28

さてところで、Ayn Rand の次に何を読んでいるかって?

答え: 5冊ほど同時に。(内訳: フィクション2冊、ノンフィクション2冊、専門書1冊)

新山は場所と気分によって読みたい本のジャンルが変わるので、 つねにこれくらい用意しておかないとだめ。しかし、 フィクションを2冊も読んでいるのはめずらしいと自分でも思う。

ちなみに、Atlas Shrugged については、山形浩生もダメな小説だとはっきりいっているが、 それよりも傑作な引用がクルーグマンせんせいのコラムに載ってる:

本好きな14歳の人生を変えてしまう2つの小説がある。 “The Lord of the Rings” と “Atlas Shrugged” だ。 片方は子供っぽいおとぎ話で、ときに人を社会的ダメ人間に変えてしまう。 ありえないヒーローにおぼれて現実を見失った、感情のない人間に。 そしてもう一方は、もちろん オークが出てくる。
-- I'm Ellsworth Toohey!

この「一方は…、他方は…」というジョークは英語圏でときどき出てくる。 慣れてくると、最初のほうですでにオチが予測できてしまうあるよ。

『アバター』のジェームス・キャメロンが、Glenn Beck と衝突してるって知ってる? なぜならキャメロンは彼のことを“キチガイ”呼ばわりしているからだ。もちろん、 この2人はまるで違う人間だよ。片方は虚構をこしらえて何十億ドルと大儲けしているし、 そしてもう一方は…ジェームス・キャメロンだ。
-- Craig Ferguson

/20 [Thu]

@08:00

こりゃたいした snip-snap だ!

/19 [Wed]

@19:35

きょうこの日記にナニを書こうかと思っていたかとゆうと、 いま思い出した。きょうシャチョーがどっかで買ってきたオミヤゲの中に、 「手づくり飴」とやらが入っていたので、帰りぎわに一個拝借して自転車に乗った。 そしたらこれが既製品と違い、実にまろやかな風味でウマイのである。 いやー、たかが飴といえども奥が深いものよ。おかげできょうはずっと 機嫌よく自転車に乗っていた (まあ、たいてい新山は帰りの自転車の上では機嫌がいいのだが)。 さいきん、こういうささやかな幸せをあまり日記に書きつけていない。 こういうことは毎日沢山あるのだが、いつも家に帰るころには忘れてたり、 疲れて書く時間がなかったりする。しかし、このドーでもいいこと (ddyro) こそが新山の人生における根幹なのだ。うん、そうともさ!

@22:59

やりすぎた投資は「ギャンブル」という。

@23:00

ある関数から情報 (のようなもの) を返すのに、 おもに 3通りのやり方がある。

ある程度、使用状況がはっきり想定できているときは どれをどんなときに使い分けるべきか、おおまかな感覚がある。 しかし設計がまだ定まっていない段階では、 どれをどうすべきなのか、どっちがどっちよりも安全なのか、 いまだにはっきりした整理が (新山の頭の中で) ついていない。

/18 [Tue]

@19:50

去年の年末から続いてる OpenBSDのIPSec疑惑について、 また新たな展開が。 どうやらバックドアを仕掛けたとされている「渦中のヒト」 Jason Wright は、 2008年ごろに米国の INL (アイダホ国立研究所) で “SCADAおよびPLCシステムのセキュリティコンサルティング”をやっていたという経歴があるらしい。 さて、Stuxnet が開発されたと目されている場所はどこでしょう? あたり! …それは INL なのである。米国土安全保障省 (とジーメンス)による 制御システムのセキュリティに関する研究発表を参照。 Stuxnet が出回りはじめたのは 2009年ごろとされているが、これの意味するところは何だ? まあ、単なる偶然かもしれないが、もし OpenBSD のコミッターをやるような人物が ウィルスを作ったら何ができるのかと考えるのはおもしろい。 つまり、いまや「ネットから隔離されたコンピュータだから安全」とは言えなくなったということだ。 ありとあらゆる情報源が感染の対象になりうる。そして忘れちゃならないのが、 このような“危険さ (と便利さ)”を望んでいるのは他の誰でもなく (新山も含む) 世間一般の人々であるということ。

/17 [Mon]

@08:12

平和な朝だ。サムいけど。

子供のうちによくしなければならない質問として「なぜ?」がある。
でも大人になったら、「なぜ?」に加えて「どのくらい?」という質問もしなければならない。
そういうもんだ。そういうもん太。

@21:46

The darkest places in hell are reserved for those who ...

(だんて)

/16 [Sun]

@21:10

おーおー Stuxnet はやはりイランの核開発を狙ったものだったのか。 これは実にじつに興味ぶかいウィルスだ。

これは特定の工場に感染し、さらにその中の LAN あるいは人手による USB メモリの受け渡しを介して、 特定の制御システムに感染をくり返す。そしてジーメンス製の Step7 と呼ばれる制御用ソフトウェアに感染すると、 対象のシステム (遠心分離機) に悪意のあるファームウェアを送りこむ。 これは 984台の遠心分離機に異常な負荷をかけて破壊し、 いっぽうで人間には「異常なし」と報告しつづける。この攻撃はどうやら成功したらしい。 イランは濃縮工場の「深刻な技術的問題」により核開発が遅れていることを認めている。Schneier によれば、 これを書くには 10人近い技術者でも半年はかかるはずだ という。しかも実際の工場設備と同じテスト環境が必要で、こんなものを用意できるのは国家レベルの機関だけだという。 でも、本物の軍事行動にくらべればウイルスを書くのなんかタダみたいに安いということらしい。

それにしても、セキュリティの研究者はよくこんなものを解析するよなあ。 書くよりも解析するほうが断然スゲーよ。

@23:22

オーケイ。Python 3 の長所をひとつ発見した。 それは None と他のオブジェクトの大小比較ができないことだ。 2.x では、たとえば None < 3 などという比較も許されてしまう。 これは、よくなき。

何を思ったか、mediawiki の形式を解析するパーザを書きはじめてしまい、 それをほぼ1日中やっていた。結局、Python でいい実装がみつからないのである。 自分でも思うのだけど、オレはライブラリの実装にはかなり picky だと思う。 つまり「たったこんだけの処理をするのに、こんなに汚いコードで、 こんなに依存が多くて、それでいてこの使いにくさはなんだ!」と思ってしまうと、 結局 (ケッキョキ)、自分で実装してしまう。たぶん潔癖症なんだと思う。 「汚いのがキライ」なのである。コード本来の汚さもそうだし、 ぶかっこうな (ほとんど使わない) 依存ライブラリを持ち込むのもいやだ。 まったく、損な性格してるよなあ。

(追記) 思うに、ソフトウェアの依存関係が醜くなるのは、必要な機能がうまく 個別のライブラリに分散してないからだ。その結果、ひどい設計のライブラリがあると それに依存してる部分まで汚くなってしまう。

@00:15

てくるで (ところで)、またイチゴを買ってしまった。安いとついつい買ってしまう。 どうでもいいけど (どうでもよろ)、「イチゴに牛乳と砂糖をかけて食べる」ってのは、 苺がまだ今ほど甘くなかった過去の遺物だよな。うんそうにちがいない。

/14 [Fri]

@08:05

アメリカ大統領と惨劇の歴史 だって。

/13 [Thu]

@07:45

Publish or Die.

@23:04

いやー今日はハードな一日だったね! まず寝不足なうえに、夜のサークルは地獄。

きょうの教訓: あいかわらず、文がブチブチ切れるといわれる。 「充分」と「まあまあ」をはっきり区別すること。 「夕方」はユックリ動かすこと。それから 「障害者権利条約」「障がい者制度改革推進会議」はおそらく試験に出る表現。 「権利」「平等」「批准」「国会」「実現」「ノートテイク」等の単語も要チェック。 助詞を入れること。「11月」「12月」などの数字は左手で表現すること。 それから「〜のために」という日本語は「理由」「原因」「目的」などによって 手話が異なるので注意。

/11 [Tue]

@19:24

公理的意味論を使ってプログラムの正しさを証明する (3)

今回はPythonの bisectモジュールについて。

@23:32

しばらく日記を書いていなかったが、 じつは書く時間がなかっただけで、ネタはたまっていたのだ。

たとえばこれ。 エセ科学がまともな雑誌に掲載されてしまうという (よくある) 事件だが、 こういうときによく引き合いに出される「誠実で信頼されている科学者」とやらがインチキに アッサリひっかかってしまうというのは、実はたいして驚くことじゃない。 なぜなら「誠実で信頼されている」ことと「インチキにひっかかりやすい」ことは、 必ずしも相反しないように思われるからだ。むしろ、 「インチキにひっかかりやすい」という性格上の特性が、その人を 「誠実で信頼される」人物たらしめている、ということも十分ありうる。

@23:37

最近思ったのだが、お客の扱い方について。 相手によって対応を変えたほうがよいのだが、 その対応とはおもに2通りあって:

@23:41

どれほどすばらしい議論でも、長すぎたらすべて意味不明。

@23:45

きょうは会社でおそろしいことがあった。 電気ポットのお湯から静電気がバチっときたのだ。 これはおそらく新山の身体にたまっていた静電気が、 茶こしアミ (金属製) をつうじてポットのお湯に放電されたものと考えられるが、 いまやお茶を入れるのですら静電気を覚悟しなければならない世の中とは!

@00:14

TODO: ニベアかうこと。テガカサカサさ。

/10 [Mon]

@15:39

公理的意味論を使ってプログラムの正しさを証明する (2)

今回は二分探索について。

@22:52

ときどき外食をすると、食い物がやたらと甘いと感じる。 オリジンの惣菜もやたらめった甘いしなー。 実際、ああいうものには砂糖が山のように入っているはずで (自分で料理すると、まるで甘くない)、どうも最近の日本人は 煮物とかでも甘味がふんだんになきゃ味気ないと思うらしい。 この傾向はいつまで続くのか?

/10 [Mon]

@11:21

オーディオ機器が接続されたときのデフォルト音量を自動的に設定させる方法:

新山は録音するときにUSBマイクを接続しているが、 こいつは毎回つなぐたびに音量がリセットされてしまう。 そこで udev を使って、オーディオデバイスが検出されたときに alsactl restore を実行させるようにした (設定したい音量はすでに alsactl で記録してあるとする)。

まず、udevadm info を使って、 デバイスの識別に必要な属性をみつける:
(従来は、これは udevinfo という独立したコマンドだった)

$ udevadm info -a -p /sys/class/sound/card2
  looking at device '/devices/pci0000:00/0000:00:1a.7/usb1/1-3/1-3.2/1-3.2:1.0/sound/card2':
    KERNEL=="card2"
    SUBSYSTEM=="sound"
    DRIVER==""
    ATTR{id}=="default"
    ATTR{number}=="2"

または udevadm monitor を使って、 デバイスが挿入されたときのイベントを直接観察してもよい:

$ udevadm monitor
monitor will print the received events for:
UDEV - the event which udev sends out after rule processing
KERNEL - the kernel uevent
  (ここでUSBを接続する)
KERNEL[1294627887.156961] add      /devices/pci0000:00/0000:00:1a.7/usb1/1-3/1-3.2 (usb)
KERNEL[1294627887.157106] add      /devices/pci0000:00/0000:00:1a.7/usb1/1-3/1-3.2/1-3.2:1.0 (usb)
KERNEL[1294627887.170443] add      /devices/pci0000:00/0000:00:1a.7/usb1/1-3/1-3.2/1-3.2:1.0/sound/card2 (sound)
...

ここではデバイス番号 (KERNEL名) は毎回変わる (可能性がある) ので、 SUBSYSTEM名と ATTR{id} を使ってマッチングすることにする。

/etc/udev/rules.d/99-audio-input-mic.rules に、以下のような規則を書く。 (このファイル名はなんでもよい、辞書順に実行される)

$ cat /etc/udev/rules.d/99-audio-input-mic.rules

ACTION=="add", KERNEL=="card[0-9]*", SUBSYSTEM=="sound", ATTR{id}=="default", RUN+="/usr/bin/logger /usr/sbin/alsactl restore %n"

最初の4つ (ADD, KERNEL, SUBSYSTEM, ATTR{id}) はマッチング規則、 最後の RUN += が実行するスクリプトを指定する部分である。ここではまだ alsactl を実行せず、 /usr/bin/logger を使って、本当にこの行が実行されているかどうかを確かめることにする。 コマンドライン中の %n はデバイス番号 (ここでは "2" の部分) に展開される。 ちなみに、udev の規則はつねに1行で書かなければならない。

この規則が正しく反応するかどうかをテストする:

$ udevadm test /sys/class/sound/card2
run_command: calling: test
udevadm_test: version 164
This program is for debugging only, it does not run any program,
specified by a RUN key. It may show incorrect results, because
some values may be different, or not available at a simulation run.

parse_file: reading '/lib/udev/rules.d/10-dm.rules' as rules file
parse_file: reading '/lib/udev/rules.d/10-vboxdrv.rules' as rules file
...
udevadm_test: run: '/usr/sbin/alsactl restore 2'

オッケーなようなので、この規則を udevd に読み込ませる:

$ udevadm control --reload

ここで USBデバイスを一度抜いてから挿すと、 /var/log/everything.log に以下のように記録されている:

Jan 10 11:45:33 localhost logger: /usr/sbin/alsactl restore 2

動いているようなので、logger を消した正式な規則に修正する。

$ cat /etc/udev/rules.d/99-audio-input-mic.rules

ACTION=="add", KERNEL=="card[0-9]*", SUBSYSTEM=="sound", ATTR{id}=="default", RUN+="/usr/sbin/alsactl restore %n"

$ udevadm control --reload

完了!

参考文献:

Arch Linux のいいところは、ドキュメンテーションが豊富にあることだ。 ほとんどあらゆる例が Wiki に書いてある。むかし Gentoo を使ったのも、 ドキュメンテーションが気に入ったからだった。ここでいう 「ドキュメンテーションがよい」というのは、「情報量が多い」という意味ではない。 たとえば Debian の あの長ったらしいインストールガイド と、 Arch の Beginners' Guide を 見比べてみればその差は歴然としている。あと、FreeBSD Handbook もわりといい。 それにしても udev の設定は意外とやりやすくて感心したね。

/07 [Fri]

@07:44

今朝はあまりにもサムかったので、火事の夢をみた。

@01:28

教育というのは、生徒の視野を広げるように、広げるように作用すべきであって、 生徒の視野を狭めるようなことがあってはならない。

しかし子供に広い視野を持たせるためには、 大人はそれよりももっと広い視野を持っていなければならないのだよ。

/06 [Thu]

@01:25

公理的意味論ビデオの第二回目を録画したが、 あまりにネムくて意味不明な台詞が多かったのでボツにする。 また明日挑戦しよう。あ、明日は駄目か。あさってか。

/04 [Tue]

@15:52

正直な意見はここには書かないんだよ。

@19:23

ふと恐しいことをここに書くが、 キミは『スヤシ=シヤス』の謎を知っているかね?? ちなみに中学のころ、クラスにヤスシという友人がいたが、そいつは関係ない。 『スヤシ=シヤス』の謎だ。あまりにも恐しいので、これ以上はここに書かない。 しかし、実はどっちでもいい話題だよな、これって。フントーーに。

追伸. カナキー配列で入力しても何も出てこないよ。


Yusuke Shinyama
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