あまり急激に変化するのも考えものだ。それはポリシーを持っていないように見える。
さいきん気づいたのだが、新山の頭のランダムぶりとバージョン管理システムは相性が悪い。 ソースコードのある箇所を修正していて、それがまだ終わらないうちに別の用事を 「あっ、これもやんなきゃ」と思いつき、急遽そっちを編集しだし、 その途中でまた別の用事を思いだして脱線する、といったことをしょっちゅうやっているため、 ソースツリー上の変更がモザイク上に分布していることが多いのだ。 どの作業もいずれは戻ってきて完了するのだが (ときどきスタックが深くなりすぎて 戻ってこれないことあるケド…)、この時点で commit しようと思っても、 ある機能の変更部分だけを特定するのはむずかしい。 これがよくないパターンだということは自分でも承知しているが、 どうやって改善すればいいのかわからない。 とくに新山の場合、頭が冴えているほど脱線の度合いが高まり、 複数の作業を並列でやりがちになるので危険だる。 しかし、頭が冴えてないといいコードは書けないのよん。
どうでもいいが (どうでもよろ)、Python に附属の python-mode.el は もはやまったく使えないシロモノになっている。Emacs に附属の progmodes/python.el に切り換えたから、本当にドーでもいいけど。
なんだ、今までオレは「頒布」のことを「領布 (りょうふ)」だと思ってたのか!?
FAT で git を使う方法 (試してないけど!) :
$ git config core.filemode false
どういうわけか、さいきん教育関連のニュースをよく読んでいる。 「教育」というセクションは日本の新聞ではあまり見かけない。
そして最近の大学生は高校生レベルの知識すら身につけていない、 という愚痴は大学の先生からよく聞くが、そんなあなたはもう遅い。 CUNY では実際に高校生の内容から教えている。
新山は知らなかったのだけど、米国の高校でも同じような問題はあるようだ。 いわく「高校はいかに多数の生徒を卒業させるかということばかりに集中している」。 ときに高校生が受験勉強するのは良いことだ、という人がいるが、 新山にはなんでも偏りすぎはヨクナイと思うね。
しかし、そうは言いながらも、新山自身は非常に偏った人間である。これでいいんだ
他人が自分のことをホメているのを見ても、楽しくないんだよ。 本当に楽しいのは「次に何をするか」を考えているときだ。
(追記) その意味で、新山がいつも本当に知りたいのは(まっとうな)批判である。 大げさなホメ言葉は、ムカつく。
きのうは某Minecraftサーバの「ハロウィーン祭り」に参加していて、1日中、家から出もしなかった。 なんで新山がそんなにいたかというと、出番待ちをしていたのである。 新山が出演した部分はここ。 このサーバでは月に一度ぐらいの頻度でテーマを決めて "Build Challenge" なるものを開催するのだが、 その様子は justin.tv で中継される。毎回、放送前はテンヤワンヤで、まるで学園祭前夜のような雰囲気。 「だれかironブロック持ってる人いる?」「おまえはこのカッコをして、ここで待て」などといった会話が飛び交う。 しかし長かった。この中継、8時間もやったんだぜ。信じられないよ。 連中のいる西海岸では金曜の夕方から夜中までだったらしいが、日本では土曜の朝からまるまる1日つぶした。 欧州から参加してたやつらは完全に徹夜。 オレ以外の連中はみんな若いからいいのかもしんないけど、 オレはもうこんなのやんねーぞ。
p.s. 明らかにオレは「四谷階段」と「バンチョウ皿屋敷」を混同していた。 でもまあ、どうせ誰も気にしないからいいや。
けさは死刑に処される夢を見た。 自分がなにをしたのかは知らないが、とにかく死刑なのである。 その方法は絞首ではなく、電気イスのようなもので、しかも 車に載せられたまま焼かれるというワイルドなものだった。 新山は自分の前に処刑される客 (?) の様子をずっと見ていたが、 なにやら変電所のような装置の下で人が働いており、看護婦が快活に測定器をつけていたりした。 で、新山と一緒に焼かれる予定の自動車が「オレはまだ死にたくない」 みたいなことを言う。かくいう新山はそんなことはどうでもよく 「自分が死ぬ瞬間をちゃんと観測しないとな、しかし自信がないなあ」などと考えていた。 で、前の人の処刑が執行される瞬間というところで目がさめた。 夢はたいていいつもいいところで終わってしまうもんである。 しかし、シュールな体験だった。
「若い人」と呼ばれている人が必ずしも若いわけではない。
きょうはチャリがぶっ壊れたが、中井駅前の自転車屋で30分で 修理してもらえたのでよろよろだった (ヨロヨロ…非常に良い、という程度の意味)。 途中、ひっさしぶっりに本屋へ寄ってみたのだが、新山はあいかわらず 本屋へ寄ると本を選ぶというよりも「いまはどんな本がどんな割合で売られているのか」 をチェックするという市場調査のようなことをしてしまう癖がある。 たいていの場合、割合は変わらない。マイナーは部分はつねに変化しているが、 それらはどうせすぐ消える「トレンド」であるので無視すると、 もはや本屋に見るべきものは何もない。しかし新山があいかわらず観測しているトレンドが ひとつあって、おそらく何百年も続いている傾向であるのだけど、 それは「ひとたび世間から『専門家』として持ち上げられれば、こっぴどく儲かる」ということだ。 これは今後もかなり永遠に続くだろう。これらの人々はある程度儲けてしまうと、 その後表舞台から消えていく (順番を待っている人々は沢山いるのだ)。 ああいうのに一度味をしめたら、もうカタギな仕事なんかやってらんないのかなあ。 まあいいや。それにしても (どうでもよろ)、「暮しの手帖」が まだ発行されていて、おまけにただの値段が高い婦人誌になっているのには笑った。 もうかつてのような製品レビューなんか決してやらないだろうし、 そういう記事が書ける人もおそらくいないのだろう。じつに残念なことだ (が、その役割はいまはツウちゃんねるの類が果たしているともいえる)。
今日はなぜだか異様にクシャミが多い。いまごろ秋になったのか?
ゆうべは Minecraft をやりすぎて今朝は寝坊した。たくもお
しかし、オネショしてなくて良かった!
ゆうべ OpenPandora の Hotfix 6 が出たのでインストールして いじっていたらいつのまにか明け方で寝不足。たくもう
ある意味で…これは、借金の一種だ。あるいは一種の借金だ。
ヒルネをしていたら、どこぞやの電話アンケートなるものがかかってきて起こされた。 UNICEF の日本支部からだった。「日本政府は途上国に対して人道的援助をするべきだと思いますか?」 とかいう、つまんない内容。こういうお役所のやる「評価」なるものはほとんど無駄だと思う。 こんなもんに金つかってる暇があったら…以下略。
新山は機械類の信頼性ということに比較的こだわる人間である (とくに相手が計算機の場合は)。 これに関してふと思ったのだけど、新山は機械の信頼性にこだわるのは、 自分の身体に信頼性がないためではなかろうか? いや、そういっても オレは結構あるほうなのだ。世の中には発作を心配しなければならない人や、 インシュリンを注射しなければいけない人がいる。 オレは人並み以上に心配性なのか、あるいは単に control freak なだけなのか? うんとこさ。
今朝の大ショック: コーヒー豆を切らしていたので買ってきたら、 フィルターも同時に切らしていたことを忘れていた。
やっぱり海外のメディアはカダフィの死体とか載せるんだなあ。 日本の地震のときも死体を見せてたし…。
帰ってきてみたら、日本がなくなってた。