いやーー DNSはやっぱこわいなあ。 いっこ余計なレコードを入れたら全部がパーだ。 しかも、その影響はしばらく続く。
さいきん、ある人から大学の予算獲得の話を聞いたのだが、 じつにいやな話だった。なぜなら、お役人に対する申請ってのが 「正論を言ったらほとんど勝てない」ようなレベルなのである。 ようするに、ウソあるいはインチキを言うことが推奨され、 そうした人が生き残ることができるようなシステムになっているのだ。 ま、似たようなことは米国でもありそうだが、少なくともあっちのほうが 評価システムがちゃんとしているように見える (日本と違って、 米国ではNSFなどのプロジェクトを審査するのは門外漢の名誉教授のセンセイなどではなく、 きちんとしたその道のもと研究者である)。
…さて、次の3つに共通する特徴は何でしょう?
そういえば今ってまだ12月だっけ?
きょうは朝からすごい雪だ。バサバサと降っている。
そういやー新山がこのeeepcを買ったのはもう4年も前か。 こいつはいままでよく役に立ってきたが、さすがにくたびれてきたらしい。 キーボードやマウスクリックの効きが悪くなっている。 そろそろ新しいマシンを買う時かしらん。しかしpandoraがあるからいいか。 いまの時代、年間(平均)1万円以上を電子機器に消費する奴はただの間抜けである。 ついでにいえば、新山の場合は年間の書籍購入費も1万円ぐらいだ。 そもそも1冊の本を読むのに半年ぐらいかかるのがほとんどなので、 読むたびに次々と本を買ってもたかがしれているのだ。 われながら実にカネがかからない人生だる。 こうなりゃまた寄付するしかないよな…
寄付するときにいつも問題なのが、はたしてある団体が 自分の思想にてらして「寄付に値するかどうか」を知る方法である。 去年は地震があったので、だいぶ赤十字に(深く考えずに!) カネをやってしまったが、これは今考えるとあまり役に立たなかったんじゃないかと思う。 寄付とってもこっちは消費者なのだから、カネは賢く使う責任があるのだ。
喰ってばっかり。
正月に定番の「老人モチ死亡」ニュースを見るたびに思うのだが、 なぜ政府は老人があんな危険なものを食うことを法律で禁止しないのだろうか。 ついでに漬物も禁止すべきだ。だって奴らの医療費を払っているのは政府なのだから。 また年金受給者は役所の許可なく勝手に旅行したり、病院を変えたりしてはならない。 それから許可なく死んだり自殺するのも禁止。 なぜなら、彼らの面倒は政府がみているからである!
似たようなこととして、育児手当をもらっている子供は、 政府の指定した公立学校しか行ってはならないのはもちろんのこと、 食事についても、厚労省が健康的と認可した第一種健全健康的食品しか 摂取してはいけない。ついでに、政府が認可した書籍および テレビ番組からしか情報を得てはならないし、天皇誕生日には必ず皇居へ 出向いて日の丸を振らなくてはいけない。当たり前のことだ。 なぜなら、彼らの面倒は政府がみているからである!
…あるいは。
なんでもお役所に頼らずに自力でやるって方法もあるよ。 でもこの時世、そんなこと誰もやんないよね。 なぜなら人間はみな是が非でも助け合わなければいけないし、 なんたってお上におカネもらったほうがラクじゃん! がんばろう日本!!
ようやく今年じゅうに読み終えた。Primo Levi の続編 "The Truce" である。 あいかわらず彼独特の語り口が好きだ。すさまじい話だった。 ポーランドからトリノに帰るのにMinskとかBucharestとかを経由しなければならなかった クレイジーな帰郷。じつはこの間の旅行では Levi が行った場所をすこし追随してきたのでして…。
毎年、実家に帰ってくると本が進むように思える。 なぜならここのPC環境はあまりに貧弱で、他にやることがないので。 うちの田舎は冬がいちばん景色がいい、と思う。
(追記) 本文自体もそれなりに印象的なのだが、 以下は末尾についている Q&A からの引用。 「なぜドイツ人はユダヤ人虐殺の事実を知らなかったのか?」という質問の答え:
(当時のドイツの状況に関する文献を引用して) …これらのどれもが真実であるとは思うが、私はここに全体像として もう一言つけ加えたいと思う。それは、これらのさまざまな憶測と可能性にもかかわらず、 ほとんどのドイツ人は (ユダヤ人収容所について) 知りたいとは思っていなかった。 いや正確にいえば、知りたくないと思っていたのだ [強調は著者]。 … ヒトラー時代のドイツでは、ある暗黙の了解があった。 それは、知っているものは語らない。知らないものは尋かない。 そして尋いたものには答が与えられないというものである。 これらの了解によって一般のドイツ市民は無知を獲得し、 自分はいま庭先で起こっていることの共犯者ではないという幻想を 守りぬいてきたのだと思われる。
この一言はとても要点をついている。 新山はときどき、ある事件・情報について 「オレはこのことについては知りたくないのだ」と 明示的に避けるときがある。そのことについてすでに自分が まったく共犯的 (←なにこの形容詞?) でないときならかまわないが、 自分がその責任の一部でも負っている場合はたんなる逃げだよな。 こういう willful ignorance とでもいうべき状態をとっている人は いまの時代は非常に多いと思われる。結局のところ、いくら情報に アクセス可能になっても、そもそもアクセスする意志がない人には 何を言ってもムダなのだ。こういう視点で世の中をみるといつも非常に落ちこむね。 新山は日本のテレビを見ないのだが、 はたしてこれは willful ignorance の一種なのだろうか。 どうだかな。
そして新山は今日まで Christopher Hitchens も死んでいた ことを知らなかった!
先週、(新山にとって) 恐しいことがあった。 新山はその日、自転車を中野駅前のチャリ置き場に停めていったのだが、 駐輪代の100円払ってカギをかけ忘れ、そのまま自転車につけっぱなしで一日放置していたのである。 おまけに自転車のカギはアパートの鍵と一緒になっているので、もしチャリが盗まれれば 部屋にも帰れないという screwed な状態に陥るところだった。 実はこういうことはよくあるのだけど、そのたびに自分の幸運に感謝している。
しかし、ひどい幸運の使い方だ。
さいきん気づいたこと。 会話で「19世紀」といえばふつう19世紀の終わりごろをさし、 「20世紀」といえば20世紀の終わりごろをさし、 「昭和」といえば昭和の終わりごろをさす。 人はようするに最後のほうしか見ないらしい。
ぺげりぎ
ぺけ
なに、談志が死んだって!? (ほんとうに新山はつい昨日まで知らなかった)
きょうは駅前の『あおい書店』へ行き、はじめて "Jobsの伝記" なるものを見てみた。 当然、立ち読みで買う気なしだが、べつに買うほどの内容でもないような。 こんなもんがなぜ売れるのかナゾである (ま、新山にとって、売れてる本はほとんどそうなんだケド)。 それにしても毎度こういう大きな本屋へ行くたびに思うのだが (あおい書店はこのあたりではかなり大きいほうだ)、 いまの世の中、こんなに沢山の本が出版される必要があるのだろうか。 わざわざ紙で出すことの無駄もそうだが、そもそも新山は情報の価値そのものを疑っている。 というか、これはもしかすると新山が精神的に年老いてきた証拠なのかもしれない。 …
最近、なにかを見たり聞いたりしても「あー、それはもう聞いたよ」という気分になってしまうことが多い。 新山が興味あるのはなにか「新しいこと」「新しい視点」をもたらすものであって、 すでにあることの受け売り、あるいは焼き直しではないのだ。 しかし実は世の中、新しいことを言う人はほとんどいないという事実に気づいてしまったのかもしれない。 でも少ないとはいえ、そういう人はゼロではないのだ。 そしてそれは探す価値があると新山は思うのである。 でも本からそういう人をみつける時代はもう終わったのかもしれないなあ。 実際には、ほとんどの「一見新しそうな」アイデアはすでに古典的な人々によって 言いつくされている可能性が高い。ものごとをある程度抽象的に とらえる習慣がないと、そういった「同型写像」を見いだすことができず、 毎回焼き直したものを「なにか新しいもの」だと思ってしまう危険性がある。 実際、多くの人々はそのワナにはまっているように見える。 (それをワナと呼びたければ)
まあどうでもよろ (ddy).
追記。 ちなみにきょう本屋で面白かったのは、ぜんぜん関係ない分野で 『介護ヘルパーがこれを言っちゃダメ!』という発言タブー集だった (正確な題名は失念)。 たとえば、すでになにかをガマンしてる老人がいるときに 「○○さんは我慢強いですものね」とか言うと、 余計にガマンを強いることになるのでよくないとか、 おもらししてしまった人を前にして 「トイレに行きましょうね」などと言ってはならない、 とかいう内容。老人にとってどのようにグサっとくるかが解説されていて、 これを読んだときは悪いけど爆笑した。 やはり面白い本を探すなら自分の知らない分野にかぎる (結局、買わなかったけど)。 ケッキョキ
げげっ、もう12月じゃん! いつのまに!!
itunomani.ca っていうドメインがあったらおもしろいだろうな。
Jobs の死後 Apple がいつまでもつのか興味あるところだ。 正直いって、あそこはかなり独裁者に依存する構造になっているように見える。 いっぽうで Microsoft は、Bill Gates なしでもやっていけるような (お役所的な) システムをうまいこと構築したという意味で、 ある意味 Bill Gates をうまく雲散霧消させることができている (ように見える)。
さー、どうかな?
…そうやって、死ぬまでウソついてなよ。いつまでも