Dec. 2016

Last Modified: Sat Jan 7 02:40:16 UTC 2017

(本当にいた) 善きサマリア人 2016-12-28 [Wed] 21:42

A real Good Samaritan

バーナード・ヘア (作家)

その日の午後、警察から学生寮のほうに呼び出しがきたが、 俺はどうせまた立ち退きの要求だと思ったので答えずにいた。 俺はもう何ヶ月も家賃を払ってなかった。

でもそのあと思った。俺の母親はあまり身体の具合がよくない。 もしかしたら母に何かあったんじゃないか? 寮には電話はなく、 携帯電話がまだない時代だったので、俺は近所の電話ボックスに駆けこんだ。 そしてわかったのは、母がいま病院にいて、今夜もたないだろうということだった。 「すぐ帰ってこい」と親父は言った。

駅に着くと、すでに最終の列車が出たあとだった。ピーターボロウまでは行けるのだが、 そのころリーズ行きの接続電車はすでに20分前に出てしまっている。当時の俺は ひどい貧乏で、タクシーでそこまで行く金はなかった。それでもとにかく電車に乗った。 そのときは自暴自棄で、家に着くためになら、なんでもやりかねなかった。 ヒッチハイクするかもしれないし、盗みを働くかもしれない。とにかくなんでも。 親父の声の調子からすると、母は本当に今夜亡くなるように思えた。

「乗車券を拝見します」 車掌の声で俺は我に帰った。車掌はスタンプを押すと、 そこに立って俺を見つめた。俺はそのとき泣きはらしており、たぶん異様に見えただろう。 「きみ、大丈夫かい?」と彼は尋いた。

「大丈夫に決まってんだろ」俺は答えた。「あんたに関係ないだろう」

「なにかひどく具合が悪いようだが、私にできることはあるかね?」

「さっさと失せろよ。放っておいてくれ。話したい気分じゃないんだ」

彼は俺よりひとまわりも小さい奴だったし、たぶん俺は危険な奴に見えただろう。 だが彼は向かいに座って話しつづけた。「もしなにかあったんなら話してくれ、 それが私の仕事なんだから」

俺は当時、それなりに腕っぷしがあった。一瞬、こいつを力ずくで あっちへやってやろうと思ったが、それはどうにもその場にそぐわないように思えた。 彼は悪くないのだ。彼を追っぱらう唯一の方法は、自分の事情を話すことだと思った。

「あのな、今おふくろが病院にいて、今夜持たないっていうんだ。 どうせピーターボロウでリーズ行きの電車には乗れないだろうけど、 もうどうすればいいのかわかんねえよ。今夜しかないんだ。 いまムカついてて、話したい気分じゃないんだよ。放っといてくれないかな」

「わかった」 彼はそういって立ち上がった。「すまなかったな。 話しかけないようにするよ。ちゃんと家に帰れるといいな」 そして彼は戻っていった。

俺はまた窓の外の闇を見続けていた。ところが 10分後、彼はまた戻ってきて 俺の席の前に立った。ああ、まただよ、と俺は思った。今度こそ、本当に こいつをやっちまわなきゃならん。

彼は俺の腕に手をかけると、言った。「よく聞くんだぞ、ピーターボロウに着いたら 全力で1番ホームに向かって走るんだ。リーズ行き列車はそこにいるはずだ」

俺はあっけにとられて彼の顔を見た。一瞬、よく意味がわからなかった。 「どういうことだよ」 俺は阿呆のように言った。「電車が遅れてるとかいうのか?」

「いや、遅れてるんじゃないよ」 彼はさもそれを気にしてるかのように言った。 「いまピーターボロウに連絡したんだ。彼らはきみのために電車を止める。 きみが乗りしだいすぐに出発する」

「…」

「おそらくほかの乗客は怒るだろうが、今回はそれは気にしなくていいさ。 とにかくきみが家に着けることが大事だ。幸運を祈るよ、それと神のご加護を」

そして彼はまた戻っていった。「ほかに乗車券を拝見する方はいませんか?」

俺はそこではじめて自分がいかに途方もない馬鹿野郎だったかに気がついた。 俺は車掌を追いかけた。彼に追いつき、腕をつかんで言った。 「あの、俺は…」 だがその後なにも言葉が出てこなかった。

「いいんだよ」 彼はにっこり笑ったが、その顔には本当の同情があった。

「あの、なんてお礼をしたらいいか…」 俺は言った。「感謝しています」

「いいって」 彼はまた言った。 「もしぼくに感謝したいんなら、次に誰か困っている人に会ったときに、 同じように力になってやってほしい。それこそが本当のお返しだよ。 そしてその人にもまた同じように言うんだ。そうすれば世の中は少しずつよくなっていく」

次の日の明け方、母は亡くなった。そのとき俺は傍らにいた。 いまでも母親を思い出すときにはいつもこのピーターボロウ行きの 夜遅い列車にいた『善き車掌』のことを思い出さずにはいられない。

cf. 善きサマリア人のたとえ

それではよいお年を。


Yusuke Shinyama
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