お相撲とosmosisって似てるよね。
日本の物理メディア偏重は異常であるということについて。
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スティーブ・ジョブズジョン・カーマック (John Carmack)
かつて妻がぼくにこう聞いた。 「あなたはスティーブ・ジョブズが何か頼んでくると、 いつも自分が今やってることを中断するのね。 他の誰に対してもそんなふうにはしないのに」
このことは考えてみる価値がある。
熱心なアップルファンだった10代の自分にとって、 ジョブズとウォズニアックは崇拝の対象だった。ぼくは 何年間ものあいだ Apple II が欲しかったが、それは自分の子供時代のなかでも ひときわ思い出に残っている。 のちに自分が初めてソフトウェアで商売するようになった時、展示会で NeXT を見て、 そこに未来のビジョンを感じたものだった。(それにしても 1万ドルもするなんて! うげ)
その後 Commander Keen と Wolfenstein 3D を売り出して Id Software が商業的に成功したとき、ぼくが最初にした大きな買い物は クルマじゃなく、NeXT コンピュータだった。これはソフトウェア開発業務に 格好のマシンだとわかったので、以後ぼくたちの会社はすべて NeXT の ハードウェアを使うことにした。
ぼくらは NeXT をいたく気に入っていた。Doom をリリースしたときには 「NeXTコンピュータで開発しました」というロゴを起動時に表示しようと思っていた。 そのための承諾を Apple に求めたが、却下された。
しばらくたって Doom が一大ブームを巻き起しはじめたころ、 スティーブが考えを変えて、NeXT のロゴを使ってもよいと言っていたらしい。 が、すでに時遅しだった。 それでも、スティーブ・ジョブズとメールのやりとりができるのはクールだと思った。
その後何年かのうちにぼくが出した結論はこうだ。 スティーブは、本心ではゲームというものをあまりよく思っておらず、 彼らのビジネスに対してこれほど重要なプラットフォームとなることを 望んでいないように思えた。が、ぼくがそれで個人的に傷つくということはなかった。
NeXT が Appleを逆買収するような形でスティーブがふたたび返り咲いたときに、 ぼくは NeXT の美学が Apple で主流としてよみがえることに興奮をおぼえた。
そのとき、ゲーム全般に関するニーズについて Apple と話をするために 呼ばれたのだが、ぼくは心に決めていた使命があった。 それは Apple に OpenGL を 3D グラフィックス API として採用させることである。 ここでぼくはスティーブとさかんにやり合った。
彼のやり方というのは、少なくともぼくから見るとこうだった。 まず現存する選択肢をすべてけなしてみせ、何か違うところがあるなら言ってみろ、 というのだった。それらは実践的かもしれないが、実際にいいなんてことはありえない。 「俺は Pixar を持ってるんだから、本当にいい API を作れるんだぞ」というのである。
それはイライラする体験だった。 なぜなら彼はときに、完全な自信をもって、あきらかに間違っていることを喋るからだ。 たとえばビデオカード用のメモリの値段や、AltiVecユニットに使用可能なシステムの 帯域などについてである。
だが自分に確固たる論拠があるとき、ぼくは誰に対してもひるんだりはしなかった。
スティーブがいざ心を決めると、それは断固としたものだった。 指令が決定され、会社が買収され、プレゼンテーションが準備された。 そして現実歪曲フィールドが発動し、それまで考慮されてきた すべての選択肢はどれもひどいアイデアということにされるのだった。
ぼくはこの件が、自分がこの業界にしたもっとも大きな貢献だったと思っている。 PC上では、OpenGL は決して D3D の牙城を崩すことはできなかったが、 Apple にとってはこれは死活問題だったのだ。そしてこれは今後、 携帯デバイスに GPU が搭載されるにつれ、より明らかな 選択肢になっていくであろうと思われた。もう古い話だが、モバイル時代の夜明けにあって、 複数の SoC ベンダが自前 API を持ち出してくるような状況になるよりは ずっとよかったのである。
結局、スティーブとは何度かプレゼンテーションを一緒にやることになったが、 いつもそれは気ちがいじみた避難訓練のようなもので、たいていすべてを準備する暇はなく、 多くの人々の英雄的な努力を必要とした。彼はおそらくそこまで計算に入れていたと思われる。
「プレゼン用スティーブ」でぼくが最初に覚えているのは、彼が 新Mac用のディスプレイ・スタンドを見せるのに使っていたステージ上の大道具を 明らかに気に入っておらず、「この Home Depot で買ったクソ」とけなしていたことだった。 彼はプレゼンテーションの細部まで極端にこだわるタイプで、その不満はもっともな部分もあったが、 ぼくには彼の要求にかなうようにその仕事をやるのは無理に思われた。
あるとき、ぼくの妻と -- そのときはまだ婚約者だったが -- スティーブと Apple でミーティングをしていたとき、彼がぼくたちの結婚式と同じ日の プレゼンテーションをやってほしがっていることがわかった。ぼくらは断わったが、 彼はねばってきたので、ついに妻がこういったのだ。もしスティーブが「わたしのジョン」を そんなに欲しがっているなら、彼はジョン・ラセター (訳注: Pixarの映画監督) を彼女の 会社に1日貸し出すべきだと。すると陽気でにこやかなスティーブは一瞬で消え、 彼は氷のごとく冷淡な態度になった。ぼくはそのプレゼンをやることはなかった。
ぼくが Doom 3 の技術デモに関するプレゼンテーションを日本でやることになったとき、 Appleの担当者が「スティーブは流血表現が好きではないので」別のデモに変更しろと言ってきた。 Doom 3 が彼の趣味に合わないことは知っていたが、それはそのデモの主眼ではなかった。
このことをスティーブに持ち出すと、彼は全員に対して 「君を信頼しているよジョン、好きなようにやるがいい」といってくれ、 これは非常に効き目があった。この後、誰も文句を言う人はいなくなった。
この後、妻と私とでフィーチャーフォン用のゲーム (DoomRPG! Orcs&Elves!) を 作ることになったとき、ぼくはスティーブに対して、もしAppleが電話を作ってくれたら どんなに素晴しいかを繰り返し訴えた。Appleが電話を作っているかもしれないという 噂があるたびに、ぼくは彼に対してこの話をしていた。あるとき彼は日曜にあることを尋きに 自宅に電話してきて (どうやってうちの電話番号を知ったのだろう?)、ぼくは その可能性について熱狂的に話した。
ぼくが開発チームに入れてもらえることはなかったが、それでもぼくは iPhone が ようやく日の目を見ることに興奮をおぼえた。(当時としては) 巨大なカラー画面にGPUだって! これはすばらしい可能性があるように思われた。
スティーブが iPhoneのアプリ開発について初めて言及したとき、 同じキーノートでぼくは Mac 上での ID Tech 5 レンダリングエンジンのデモをしていたので、 ぼくは最前列に座っていた。彼が「Webアプリのみ」と言い出したとき (訳注: 初期のiPhoneは外部アプリ開発ができなかった)、ぼくは (それなりに控えめに) 「ふざけんなー!」と言っていた。
聴衆が去ったあと、われわれはステージの前に集まって話をした。 ぼくは深刻な顔でいかにWebアプリがひどくて、このデバイスの 真のポテンシャルを引き出すにはほど遠いかを話しだした。 ネイティブアプリがあればどれだけ素晴しいことか!
スティーブは前にも使った台詞を言ってきた。 「ひどいアプリを使ったら携帯の基地局がクラッシュするかもしれないんだ」 ぼくはこの台詞が嫌いだった。「まだ準備できてない」と言えばいいのに。 それはそれで全然かまわないことなのに。
ぼくの話には推測が入っていたが、基本的には iPhone のハードウェアと OS は ネイティブアプリに対しても十分な防御ができるはずだった。ぼくは近くにいた エンジニアを指さし、「iPhoneにはMMUとプロセス隔離が入ってるんじゃなかったのか?」 と聞きただした。彼は目を見開いて「オレに聞くか」という顔をしたが、 最後には「うん」と言わせることができた。
当然ながら OS-X は電話よりもずっとセキュリティ的に重要な製品に使われているはずで、 もし Apple がそれらに十分なセキュリティを確保できていないとすれば、 それはより深刻な問題であるはずだ。するとスティーブはこう返してきた。 「ジョン、きみは頭のいい奴だよ。自分で OS を書いたらどうなんだい?」 このとき思ったのは「スティーブ、このクソ野郎」ということだったが。
周囲の人々はぼくから後ずさっていった。スティーブが怒っているとき、 Apple社員は自分と関連があるように思われたくないのだ。 その後、ある重役が「スティーブは活発な議論を望んでいる」とは言っていたが。
それでもおさまらなかったので、ぼくはいくつかコメントを出したが、 それらはマスコミに取り上げられた。スティーブはそれも気に入らなかった。
スティーブ・ジョブズの「英雄 → 最低な奴」ジェットコースターは本当だった。 しばらく高みにいたのち、いまやぼくは底辺になっていた。ある人がぼくに語ったところでは、 初期の iPhone用 SDK がようやくできたとき、スティーブはそれをぼくに使わせるなと はっきり指示を出したという。
結局、ぼくは片手間でいくつか売れた iPhone アプリを書くことになった (32ビットのサポートが切れたので、これらが今ではすべて使えなくなっているのは 悲しいことだ)。Apple 社内には心強い味方も何人かいたが、 スティーブとはうまくいかなかった。
ある日の昼食後、ぼくがチームと打ち合わせをしているときに電話が入った。 そのときは忙しかったので、ぼくは着信を拒否した。 数分後に別の人が来て言うには、スティーブが ぼくに電話をかけようとしていたのだという。あちゃー。
周囲のみんなはぼくが「スティーブを着信拒否した」ことで笑っていたが、 これが彼との最後のやりとりになった。
彼の健康状態がすぐれないというニュースが公になるにつれ、 ぼくは最後になにかポジティブで意味のあることを言おうと 何通かメールを書いた。だが、どれも書き終えることができなかった。 このことは後悔している。
ぼくはスティーブの性格の悪名高い「負の部分」をいくつも見てきたが、 ぼくが今日ここにこうしているのは、彼がこの宇宙に残してきた 功績によっていると確実に言えるだろう。
彼の葬儀には参列した。
This.
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