Dec. 2018
Last Modified: Sat Dec 15 01:28:52 UTC 2018
日本の政治について
2018-12-09 [Sun] 09:20
ある人から「日本の国会ってこんなにヤバいの?」と聞かれ、
ふーむ、と思ったので新山の考えを書いておこう。
まず、基本的な事実の確認から:
- 上の動画にあるような乱闘は 100% ショーであり、
普段の国会議員はほとんど議論などしていない。
- 政治家がこれほどいい加減にもかかわらず、
日本の行政は (他の国と比べると) かなりまともに機能している。
- 日本における「政治ニュース」はもっぱら政治家どうしの確執あるいは
ゴシップに終始しており、政策に関するまともな議論は皆無。
- 結果として、日本で政治について喋るのはよほどの好き者か、
あるいはハラに一物もつ人々のみである。
なぜこうなっているのかというと、おそらく複数の原因があると思うが、
新山は以下のようなものがおもな理由と考える:
- 文化的・気質的な原因。
日本人は他人に表立って公然と反対するのを避ける。
そのため、そもそも意見が対立せず、政治的議論が起こることもない。
- 客観性の欠如、および定量的な議論をするための訓練の欠如。
米国などでは、調査やら統計やらの数値をもとに物事のよしあしを議論することが
ふつうに行われており、人々は学校などでそういう訓練を受けている。
日本ではこうした風潮がないし、
そもそも多くの人はこうした方法があることを知らない。
その結果、議論は主観的になり、相手の意見に反対することが
人格の否定であると受けとられる。
これと a. の気質があわさって、さらに議論が起こりにくくなる。
- マスコミへの盲信、あるいは陰謀論に対する耐性のなさ。
米国人みたいになんでもかんでも陰謀のせいにするのはやりすぎだと思うが、
かといってまったくそれがないのも問題である。いわゆる「健全な懐疑主義」とでも
いうものが欠如している。そのため一旦マスコミを否定しだすと、今度は
今度は完全な陰謀主義になってしまう人々をみかける。
こういった事態に対処するための一番の道具が客観性なのだが、
これが理由 b. によって失われている。
- せっかち or 超効率主義。
「マイノリティは生産性がない」議論に代表されるように、
意見がいろいろ乱立するとまとめるのに大変だから
効率のために黙っているのがよい、という風潮がある。
これはおそらく日本社会の効率性の大きな要因のひとつではあるが、
多くの人はこのために議論をあきらめたほうがよいと思っている。
- 役人と政治家が比較的穏健なこと。
幸か不幸か、日本はこれまであまり支配者が (中国とかに比べれば)
国民を搾取してこなかった。
日本の政治家が腐敗しているといっても、他の国に比べれば大したことはない。
なので、国民はあまり政治家が極悪非道なことをすると思っておらず、
したがって監視する必要性を感じていない。
- 「おカネで投票する ("Vote with your money")」意識の欠如。
自由経済の社会においては、「消費すること」はじつは政治的行為である。
つまり商品を買うことはその企業の提案する価値観への投票であり、
ひいては国民のライフスタイルに対する投票なのだ。
だが多くの日本人はこれを理解しておらず、選挙だけが唯一の
政治的行為であると思っている。その結果、彼らは自分たちにとれる
選択肢が非常に少なく、政治に参加できていないと感じている。
- あきらめ。上にあげたこれまでの理由と全体的に関連しているが、
日本では「個人が社会を変えることなぞ絶対に無理」というムードがあり、
これが上から下まで浸透している。結果として、政治について語るのは
それを積極的に利用したい人々 (宗教関係とか、一部の利益団体とか) だけに
なってしまう。かくして政治的論議のイメージはますます悪化する。
では結果としてどうすればいいのか?
新山は特定の政党を支持しているわけではないし、
とくにこれといった政治的活動 (デモとか) をしたこともない。
政治に関する議論がないのは不健康・危険であると仮定して、
個人にできるアドバイスとしては以下のようなものがあると思う:
- まず科学的・客観的な事実を直視することがなにより重要である。
しかしこれは非常に難しい。多くの人は自分に都合のいいものしか見ない・考えないし、
どうしてもマスコミは感情的な論調を煽りたがる (視聴率が上がるし、
スポンサー企業にとっても商品の売り上げにつながる)。
なので、人はもっとマスコミの中立性、そもそも「中立とは何か」に対して
厳しい目を向けるべきである。
- 客観的な事実を考慮したうえで人と意見が違うのは、まったく恥ずかしくもないし、
人格の否定でもない。政治的な意見がまったく違っても、仲のよい友達でいることは可能だ。
これは日本人が外国人から学ぶべき態度である。
- たとえ選挙権がなくても政治には参加できる。
選挙は政治の最後のステージであって、実際にはそこに至るまでの意見形成の
プロセスこそが政治の本質であるといえる。たとえば経済活動 (=買い物) をしたり、
人とニュースについて話すことすら政治的な活動といえる。
自分が日本で生活している限り、じつは日本の政治に参加しているという意識が必要だと思う。
新山がかつて米国に住んでいたとき、すごいと思ったのは、
米国ではそれなりの数の人が「自分達がガンバれば社会はよくなる」と信じているらしいことだった。
現在の日本には、こうした風潮はほとんどない。「社会をよくする」などという
発言はただの妄想か、あやしい人だと思われるのがオチであり、
この雰囲気が社会全体の閉塞感やら疲弊につながっていると思う。
しかし日本でも (人々の意識さえ変われば) チャンスはまだまだあるのだ。
Yusuke Shinyama
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