(訳注: この文章の原文URLは、 Firefox で F12 を押し、 コンソール画面でconsole.mihai();
と入力すると表示される。)2015年2月9日
数日前、ミハイ・シューカン (Mihai Șucan) はルーマニアの故郷に帰っていった。彼が Firefox のバグを直すことはもうないだろう。 が、ぼくは彼がこれまで Firefox で直してきた 1919個のバグに対して、 ツイカ (Țuică)の祝杯をあげたい。
Mozilla が開発用のツールについて真剣に取り組みだしたのはほんの5年前からだった。 Firebug はずっと古くからあったが、これは Mozilla のプロジェクトではなかった。 我々が本格的にやりだしたのが 2010年の中ごろで、ミハイは最初に手伝い始めた一人である。
コンソール部分のコードは最初、完全なカオスだった。誰もが手を入れているが、 誰からも愛されていないもの。勢いがつく前に生まれ、漆黒のようなコードが書かれていた。
ぼくは何度もコンソール部分のコードを見てこう思ったものだ - 「数週間やそこらあれば、正しい改修ができるだろうが、 場当たり修正だったら数時間でできるな」と。 多くの人々と同じように、ぼくもまた本質的な問題を誰かが直すにまかせて放置していたのである。
そして、その誰かというのはミハイだった。
Mozilla の開発ツールのチームはほとんどが遠隔地で作業していたから、 ミハイについてぼくが最初に知ったのは、彼の奇妙な声だった。 ぼくはルーマニア語のアクセントについて詳しくないが、これとは違っていた。 彼の声は押しつぶしたようであり、明らかに努力して出したものだった。 そして彼はひっきりなしに咳をしていた。なので我々は彼が喋るときは 注意深く聞かねばならず、他のことは何も考えられなかった。
ミハイはくる日もくる日もコンソールのバグを直し続けた。当時、開発ツールのリーダーだった Kevin Dangoor はあるときぼくにこう言ったものだ。 「ミハイの困ったことはだな - 直すべき大量のバグを彼に与えるだけで けっこうな仕事量になっちまうってことだよ!」
ようやくビデオチャットが普及したころ、我々はみんなミハイの手に気づいたと思う。 いったい彼がどうやってタイプしているのか、誰もが不思議に思ったことだろう。 けれど誰も恥ずかしくてそんなことは尋けなかった。
誰が言いだしたのか覚えていないが、ロンドンでみんなが最初に集まったころ、 ぼくはミハイが普通に旅行できるかどうかを聞き、真相を知ったのだった。
ミハイは表皮水疱症 (Epidermolysis Bullosa, ときに EB と略される) という病気だった。 それも退行性の栄養失調型表皮水疱症だった。
EB は残酷な病気で、それは皮膚に慢性的な水泡を発生させ、 日常生活のすべてのものを危険な凶器にしてしまう。 この病気の患者はそのもろい皮膚のため、ときにバタフライ・チルドレンとも呼ばれる。 ミハイの場合、彼は車椅子の生活をせねばならず、何をするにもキーボードを そっと押さねばならなかった。
EB 患者はひっきりなしに傷ができるため、皮膚ガンに対して非常に脆弱になってしまう。 そのため普通の皮膚をもつ人にとっては何のことはない品々でも、EB の人々にとっては 危険きわまりないのだった。言うまでもなく、EB 患者は日々、山のような困難と 格闘しなければならない。
ただ、存在しているだけでこれほどの困難を抱えてしまう EB の患者ならば、 多くの人はただ生きているだけで幸せと思うかもしれない。しかしミハイはそうではなかった。 彼は Webの開発者用ツールを自分にとっての使命としたのだ。外の世界がこれほど 危険な状況にあっては、できることは多くない。しかしミハイは自分ができることを見つけ、 それに情熱をもって取り組んだのだった。
ミハイの病がもたらしたものは、彼が最近コンソールの作業に 取り組めていないということだった。ぼくらはまだそれにうまく対応できていないが、 これは一時的なものだろうと思っている。
ミハイの残した遺産は、彼が貢献した Firefox を使っているユーザが 数億人といることだ。そしてそのうち数十万人もの人々が、彼の残した コンソールを使って日々仕事をしている。そして数十億人の人々が、 ミハイの仕事の恩恵にあやかった人々が作ったウェブサイトを使っている。
そのもっともつらい時期を、ミハイは黙って耐えていた。 ぼくらがいつも文句をいっている日々のごたごたなどは、 ミハイにとってはただの余興にすぎなかった。 彼と一緒に仕事ができたことを光栄に思っている。
もし、あなたが Firefox の開発用ツールを使っているか、 開発用ツールを使って作られたサイトを使っている、 あるいはミハイがなしとげたことに対して感銘を受けたのなら、 EB の本質的な原因と治療方法を研究している EB Research というグループがある。
ミハイはいつも、より多くのことをしたがっている。 しかし彼には助けが必要なのだ。
その後: ミハイは、あとどれくらいしか生きられないかという 人々の予想をつねに打ち壊した。 数週間の予想が 3ヶ月になり、数ヶ月の予想が数年になった。ミハイは 2015年4月23日に亡くなった。