いや、わかるんだけどさ、
「9月になったら涼しくなるんやろな」と思いつづけて、すでに9月は終わってしまった。 コンチクショウ。
先週は家族が病気でぜんぜん余裕がなかった。 新山だけは今だに元気であるが、気をぬいたとたんに風邪をひくんではないかと恐れている。 おかげでぜんぜん自分のことをやる時間がない。 まあ、もとからないのだが、最近毎日が恐しくマンネリ化してきたような気がする… マンネリというか、毎日楽しみにしているものがほとんどない。 ようするに自分がコツコツ進められる「プロジェクト」がないのだ。 子育ては自分がコントロールできる要素があまりないので、 プロジェクトとはいえない。
とにかく、この状況はなんとかしなければ、と思っている。 そんだけ。
ずっと昔に知りあって音信普通になっている人 (もはやメールアドレスのドメインも失効している) と連絡を取るとしたら、 あれか。やはり fecesbook しかないのか。
見なかったことにしよう
「盗人猛々しい」とはよく言われるが、 もし犯罪者が猛々しくなかったら、それはむしろ聖人君子だと思う。
それはそうとさ。
"clever (ずる賢い)" と "smart (本当に賢い)" という単語の使い分けについて。 両者の究極的な違いは「長期的な・広範囲な視点があるかどうか」ではないかと思う。 なぜならグローバルかつ長期的に見て「ずる賢い戦略」ってのは、 ほとんどなさそうだから。はたして、そうかな?
猛(mow)寝る。
いつになったら涼しくなるんでチキショウ。
ということで、息子はいまイヤイヤ期のまっただ中なのだが、 傍から見ていてコレはツラいだろうなーと思うことがある。 なんというか、できることが可逆じゃないのだ。 「閉められるけど開けられない」とか「こぼしたけど戻せない」とか、 彼らはこの時期に物事の非可逆性を学ぶのかもしれない。 もちろん、宇宙は本質的に非可逆なのだが。 時間もね。
きょう、うちの人にいろいろ言われてふと気がついた。 自分は、意図的に「友達をつくらない人生」を送っているのかもしれない。 もともと新山は友達 (一緒に飯を食いに行く程度の) がほとんどいないのだが、 それに加えてオレは「誰かが友達になるのがすごく大変」なような 行動パターンをしている。とりわけ愛想が悪いわけではないけれど (と思いたい)、 基本的にあらゆる行動でムダを省きすぎていて、 友達になりうるようなリアクションがほとんど生まれない。 会社の人々とランチに行くぐらいはするし、その間は普通の世間話もするが、 勤務時間外は彼らとはまったく話をしないし、 とくにかく日常生活のあらゆる場面で「一切余計なことをしない」 というポリシーなので、多くの人からは「つまんない人間」と思われているだろう。 まあ実際、それは否定しないけど…。いい友人は一生の財産だというが、 そう考えると自分はかなり損な人生を送っているのかもしれない。 …
ところが、それは現実世界での話。ネット上では けっこう友達ができてるんだよなー。 ただしここでいう「ネットの友達」とは 「仮想世界の友達」とは異なる。彼らの本名も顔も知っていて、 実際に一緒に飲みに行ったりしたている。 しかし残念なことに彼らのほとんどは日本人ではなく、 日本在住でもないため、会うのにいつも苦労する。 そういう友達が日本国内にもいればいいのだが、 新山は日本のネットを見ないため、まったく会うチャンスがない。
そういえば息子は2歳になった。めでたい
いつも会社にいると家族のことを考え、
家にいると仕事のことを考える。
おそらく、これらは脳の全然違う部位を使っていると考えられる。 そのため、シーソーのようにバランスしてやる必要があるのだろう。
結論: シーソーはバランスしていない。
息子は「XンXンXン」が大好きだ。 今日あらゆるところに描かれているヤツをいつも目ざとく見つけてくる。 しかしうちにはテレビがないので、彼は「XンXンXン」にまつわる 物語をほとんど知らない。にもかかわらず、児童館などにおける 度重なる洗脳によって「あれ = XンXンXン」という事実だけを知っている。 おそろしいマーケティング効果だ。 こういう現象を何と呼ぶのか。
あーまた書こうと思ていたらいつのまにか9月に
dndn