きょう、うちの息子が 「うんこシェアーに行った!」 と言うので、どこのことかと思ったら 「東急ストアーに行った!」 と言っていたのだった。 閑話休題。
超どうでもよすぎて泣ける話だが、"britpop" という単語がある。 なんのことはない British pop の略語だが、日本語で書くと語呂がすごい。 だって何かが「ブリっと」popしちゃうんだよ? 最初にこれを聞いたとき爆笑した。 が、相手 (British) は何がおかしいか理解していないようだった。 まあそういうことである。
いまの心配事はそんなことじゃないんだよな。 でも何だっけ
人間というものは、たとえ個々人が自由意志をもって動いていたとしても、 集団になると全体で流体のような動きを示す、ということをどこかで読んだ。 実際、それを体現するような現象は東京都内の各所でみられる。 とくに、新山がよく通る某駅などでは、通路上でなぜか人の歩く速度が速いゾーンと ゆっくりなゾーンに分かれているのだが、人は速いゾーンのほうに自然と吸いよせられていく。 なぜかっていうと、人が速く歩いている部分のほうが車間? 距離が長いんで、 全体的にスカスカしているからである。これはまさにベルヌーイの定理の体感だ。 (とはいえ、これはベルヌーイの定理の間違った解釈らしいけど!) べんべnbr
いま息子が昼寝中だからこのように日記が書いていられるのであるよ。 最近、ムスコは父親のことをニックネームで呼ぶようになった。 まあ「おとうしゃん」とも呼ばれているが。
何というか、日記は言い訳を書く場所ではないよな。 そもそも何かを「書こう」として日記を書いてはダメで、 日記は「気づいたら書かれている」たぐいのものでなくては ならないと思うのである。
日本の「イケてる (と思ってる)」企業が4月1日にイタいジョークをやるのを アホくさいと思っているのは自分だけだろうか。痛々しいし、 その企業の問題をただゴマカシたいだけじゃないの? とも思う。 どうせなら4月1日に真面目に人を驚かすべきだよな。
ふと思い出したこと。 こないだ、家の近所のダイソーで50cmぐらいあるプラスチック製のタライを買った (300円也)。 店を出るころちょうど雨が降ってきて、あいにく傘を持っていなかったので そのタライを頭にかぶって歩いていたところ、道行く人がしきりとオレを避けようとする ことが判明。とくに自分が物理的に「怖い人」のようには見えないはずなのだが。 子供だけは違ってて「ねえねえあの人みてー」などとこちらを指さし、 親が慌ててそれを止めようとするという光景も展開された。
いま思い出しても笑えるんだけど、まあ、あれだ。 人が恐怖するのは具体的な怖い人ではなく 「何考えてんだかわからない人」である、ということだ。 未知を恐れよ。そういうこと。